店主日記
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昨日の続き 妻の投稿文
2026年08月23日
何故私が新聞に投稿する気になったのか、それは取りも直さず、水道局に対して、世の中には障害の為にこういう送迎をしている家庭もあるのだということを主張したかった。家庭だけに踏み止まるだけでなく、できるだけ広い世界に、その存在と価値を認めてもらおうという気持ちがあった。それに対し、公的な機関は、その事情を必ず配慮すべきであり、無視してはいけないのだということを訴えようと思っていた。
第二に、私の名前を新聞に公表すること。それは、宗一郎が障害児であるということを世間の人に発表することであもる。以前の私なら、それは避けて通った道だろう。だが、昨年就学問題で、夫婦で悩み、話し合い、いろいろ考えさせられた。それ以来、とにかく黙っていてはいけないんだと思った。特に宗一郎のことに関しては、謙虚でいてはいけないんだという意識が働いた。うちの家族には宗一郎がいる。そしてこの子がよりよく成長するように、更には同じような障害を持った仲間が、よりよく生きられるようになる為には言葉で語らなくてはわからない。そして積極的に行動を起こさなければならないんだと思った。
第三に、宗一郎の存在価値である。主人は宗一郎のことを「救世主」であると言う。病める現代社会を救う救世、それは何を意味するかというと、健常者が障害者と一緒にいることによって、その存在を認識する。そして、本来人間が備えている人間としての優しさを、より育てることができるという持論である。決して障害者は世の中の邪魔者ではないのである。
最後に、新聞に投稿する「勇気」を与えてくれたのも宗一郎である。今小学校に入学し、新しい生活が始まった。この前の運動会では、他の一年生と一緒に、80mをひとりでまっすぐ最後まで走り抜いた。宗一郎と一緒なら、これからの人生、なにも怖れるものがない気がする。頑張って行こうと思う。この80mのように、進んでいこうね、宗ちゃん。
以上が妻の投稿だ。昨日の夕方、突然この文章を店主日記にアップしよう、そんな気持ちになった。30年ぶりに妻が書いたこれを読んだ。何度も何度も繰り返し読んだ。そして懐かしさに瞼を濡らしたと21日の店主日記にも書いた。いや、懐かしさ以上に、結婚して8年余りが経ったこの時分に、まだ私を信頼してくれていた。まだ私を愛してくれていたんだと確信した。そして息子宗一郎は、私たち二人の愛のたくましい粘着力だとも思った。有難う宗一郎。有難うなぎさ。なぎさは私の心に今も生きている。これからもずうっと生き続けるだろう。
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「くるみ」10号に投稿した妻の作品
2026年08月22日
私が新聞投稿をした理由・・・これは妻が約30年前に書いた文章である。
「水道局の真摯な対応に感謝」
長女が通う幼稚園の近くで水道工事が始まり、いつも車を止めている場所が通行禁止となった。市立幼稚園は徒歩通園が原則だが、止むを得ない事情で、車の使用を余儀なくされる家庭もある。我が家の場合も、情緒障害のある長男が通う小学校が遠くにあるため、二人を車で送迎せざるを得ない。
主人の勧めもあり、市の水道局に、「工事の期間駐車場を確保してほしい」と要望の電話を入れた。すると、その話をとても親身になって聞いて下さり、うちの車は迎えの時間ガードマンの方に誘導してもらい、安全な場所に止めさせてもらうことになった。
私は正直言って驚いた。関西から嫁いだ私は、いわゆる「殿様商売」と言われる松江の商人の態度に驚かされ、市役所の公務員の横柄な態度に怒りを覚えたものだった。そういう中で、水道局の方の真摯で誠実な態度に、家族全員が温かい気持ちになった。
この経験を通じ私は、納得できないことがあったら、はっきり相手に言うべきだと思った。「謙虚が美徳」とされる松江の気質では、それは難しいことかもしれない。人と違うことをすれば、それだけ攻撃されやすい土地柄かもしれない。しかし、それでは松江市は少しも発展しないだろう。松江市の一市民であるならば、あきらめないで何でも言ってみよう。市民の声が草の根となって、自分自身も松江市も何らかの変化を起こす契機となるはずである。
この文章は、8月末、山陰中央新報の「こだま」欄に掲載された私の投稿文である。
まだまだ続く
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くるみ
2026年08月21日
今朝、「あじさいの会」(自閉症協会の松江分会)に出席した。座談会になった時、ある人が数個の昔の思い出を持ってきてくれた。そのひとつ、以前この会を「くるみの会」と言っていた時代の「くるみ」と題した文集を私に差し出してくれた。そのページを見ると、妻の名前があった。テーマは「私が新聞投稿した理由」だ。
内容はもちろん、自閉症の息子のことだ。小学校入学に当たり、主人と共に悩んだと書いてあった。新聞投稿は実名でするので、息子の障害を公表することだと書いていた。息子は病める現代社会を救う救世主だとも書いていた。新聞に投稿する勇気を与えてくれたのも息子だと書いていた。読み進めているうちに、30年前のあの頃の生活が蘇って来た。息子のことで悩んだ時代が蘇って来た。ふたり励ましあったそのことが蘇って来た。そして、懐かしくて瞼が濡れて来た。向かいの、思い出を持ってきてくれた人がそっとつぶやいた。「景山さんを泣かしちゃった」、と。
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迎えに来たよ
2026年08月20日
昨日の定休日、暑くて早くに目覚めた。家にいてもしょうがないので8時に出勤した。近所のガソリンスタンドで車のガソリンを満タンにした。9時になって公園墓地の妻を迎えに行った。さあ、出発するよ。まず、出雲市の息子に会うんだよ。その後、どこにドライブ向かおうか?。
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移動カフェ
2026年08月18日
今朝、やけに早く目覚めた。そして再び眠れなくなった。仕方ないので早い出勤をした。毎日出勤の途中でお墓に行くのだが、今朝の妻の墓石にはまだ陽の光は届いていなかった。頬ずりした墓石はひんやりしていて気持ちが良かった。営業準備が整ったのが7時30分。
営業時間にはまだ早い。そうだ、コーヒー作って宍道湖に行こ。宍道湖見ながら移動カフェでコーヒー飲も。松江駅前を通って宍道湖大橋を渡った。千鳥町の湖北道路に宍道湖を眺める駐車スペースがある。ポットに入れたコーヒーを紙コップに注いだ。車は西向きなので太陽は後ろから。運転席のエアコンがよく聞く。熱いコーヒーが旨い。ここのところ2~3日は涼しかったが今日は朝から暑い。松江市で最高気温は34℃の予報。二度と同じ顔を持たない宍道湖は湖面を鏡にして空の暑さを写していた。そして中国山地の山々が見えて、松江市の天守閣を起点とする灘町当たりの建物の高さ制限のことなどを考えていた。
あ、そうだ。9時まで待って銀行が開いたら宝くじ買おう。もう何十年続けて買っているロト6。ほんの時々8,000円前後が当たってる。




