店主日記
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嬉しかったから
2026年01月15日
昨夕、早い時間に風呂上がりのビールを飲んだ。さすがに二日連続の長距離ドライブで疲れたのだろう。夜はごちそう作ろうと思っていたのにその気力が湧かず、餅3個を食べた。醤油味の澄まし汁に別の鍋で煮た餅を入れ、その上に海苔を乗せる。わが故郷仁多の雑煮、うっぷりなのである。(うっぷり、検索できるのかもしれない)
疲れたのに、心地良かった。久し振りに、甘酸っぱい初恋のような気持になった。大田市五十猛町のグロを見に行って良かったと思った。グロの近くの小高い所にある神社で妻と再会できた。10年ほど前の、あの時のあの笑顔がそのままだったから、嬉しかった。
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連休二日目
2026年01月14日
昨夜テレビが言った。五十猛にグロができて明後日壊されると。じゃあ明日行こうと、そう思った。鳥取の倉吉は今度にしよう、グロが見たい。いつだったか妻と二人で見に行ったグロが見たい。妻の面影と出会いたい、そう思った。五十猛は昨日のキララ多伎からほんの少し、足を延ばした所。思い出した。グロのある港に行く道もあの時のまま。あの時のようにグロは筵の隙間から煙を上していた。グロの中でもちを焼いて食べたら無病息災とか。
グロを眺める後ろののり面の上に神社がある。あ、神社だわって、妻が見つけた。坂道を登って、信心のない私を残して妻は拝殿に向かった。賽銭を入れ、なにやらお願いをしているみたい。そして振り向いて、にっこり笑って私を見た。
なぎさ、有難う。君の面影と出会えたよ。でもな、本当は、本当はいつもこう思っているんだよ。もう一度、会いたいな。もう一度、一緒に暮らしたいな、と。・・・帰りの100キロ、車の中で泣いちゃった。涙がぽたりぽたりと落ちた。でも今年の泣き初めで泣き収めだからね。
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1月月一連休初日(13日火)
2026年01月14日
年末の26日、私にとっては高額な、そしてまとまった現金を財布に入れた。27日、二人の娘と孫一人を米子空港に迎えた。28日から正月2日まで、精いっぱいもてなした。そして3日から働いた。3連休も休まずに働いた。正月のお金に多少の残りがあった。この2連休、私を労わってやろうと思った。初日、息子を見舞った後、出雲市の道の駅「キララ多伎」に行った。たまにはいいだろうこんな贅沢も、そう思って2300円の海鮮丼をいただいた。
日本海は強い風が吹き荒れて波を白く泡立てていた。今日は西にやってきた。明日は東に行ってみよう。そうだな、鳥取県の倉吉市の白壁土蔵群でも散策してみるか。そう心に決めた。
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心安らかな朝
2026年01月10日
1枚の食パンを、サンドイッチ用にスライスして2枚にした。ゆで卵を作って、エッグスライサーでスライスして、からしマヨネーズを塗ったサンドイッチパンに乗せた。その上に、冷蔵庫にあったトマトをスライスして乗っけて、あともう一枚のパンで挟んで卵サンドイッチの出来上がり。
荒れる3連休だとニュースは言う。風はあるものの、暖かい陽が差している。ガラス戸越しに、朝日を背中に浴びてインスタントコーヒーと昨夜作ったサンドイッチを食べた。なんて気持ちのいい朝なんだろう。こんな朝は何もしたくない。この気持ちを楽しみたい。
ふと横を向くと、招き猫の置物が朝日を浴びて光っていた。いつの日だったか、妻と二人で岡山県の最上稲荷へ行ったとき買ったものだ。これが貯金箱になっている。ポケットの小銭入れを見たら、50円玉と、5円玉が一つずつ。その貯金箱に、そっと入れた。妻との絆が、また一つ、強くなった気がした。
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1月7日・定休日・初詣
2026年01月08日
美保関灯台の奥、島根半島の最東端に地の御前はある。美保神社の飛地境内とされ、鳥居の先は日本海だ。鳥居の中のはるか先に見える島が沖の御前。えびす様こと、事代主命が鯛釣りをしたとされる島らしい。子供たちと4人で暮らした正月、ほこりっぽくなった部屋に掃除機をかけて昼前に美保神社に向かって出発した。国道9号線を米子市まで走り、内浜産業道路を北進し、途中、道路が奏でる「ゲゲゲの鬼太郎」の音楽を聴き、境水道大橋を超えて美保関に向かった。
車内、先日亡くなった若い頃の兄の顔が、沖縄の海に戯れる妻の顔が次から次
と浮かんでは消え、また浮かんでは消えた。それにしても、どうして今日はこんなに気持ちが晴れているのだろう。どうしてこんなにも爽やかなのだろう。昨夜、夢を見た。私が、妻が亡くなった悲しみの気持ちを先日亡くなった兄に打ち明けている、そんな夢だ。時空的に考えれば全くでたらめなのだが、そんな夢を見た。兄とどんな話をしたか分からない。ただ、悲しみを打ち明けたことまでは覚えている。そんな不思議な夢だった。
兄は私に、天国のことなども聞かせてくれたのかもしれない。天国の、妻の様子も聞かせてくれたのかもしれない。天国の妻の気持ちも聞かせてくれたのかもしれない。だからお前はこんなふうに生きていくんだよと、諭してくれたのかもしれない。
中学校を終えて松江に来た時、仁多弁の私は松江の人に言われたことがある。お前、日本語しゃべれやと。途端に気持ちが沈んだ。それを、わざわざ松江に私を訪ねてくれた兄に愚痴ったことがある。目糞が鼻糞を笑ってるんだよ、気にするな。その言葉に勇気をもらったことを思い出した。・・・ちさんちゃん、ありがとう。




