店主日記
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さあ頑張るぞ
2025年04月12日
今朝起きてすぐにコップ2杯の水を飲んだ。出勤して開業準備を終えてまたコップ4杯の水を飲んだ。この頃喉が渇くとは思うけど、今日は特別、異状。昨日の疲れが残っているのだろうか。いや、あんなことで疲れる私じゃあない。鳥取往復したぐらいで疲れる私じゃあない、よね?
24日からの入院には、見舞いに来るなと長女に言っておいた。だからかもしれない。10日に鳥取の婿殿の実家から娘一人16時44分着の列車で松江駅に帰ってきた。迎えに行った帰り、今はホックだけど元マルマン茶山店で寿司を買った。この寿司、妻のお気に入りだった。何かお祝い事があると、我が家ではこの寿司を食べることが定着していた。
娘とふたりで食べる寿司とビールの味は格別だった。積もる話は山ほどあった。北京での暮らし。これからの東京での暮らし。入院中の息子の話。末娘の近況。私の入院治療のこと、話は尽きなかったが明日の朝がある。じゃあ休もうやと言って、それからトイレにも起きず朝7時までぐっすりと眠った。
11日の朝は8時に家を出た。墓参を終え、事務所を開け、電気を付けて出発した。山陰道をすっ飛ばした。10時に鳥取市に到着した。早く孫の顔が見たかった。両手を広げておいでと言ったら抱っこさせてくれた。でも少しの間だけ。でも抱っこさせてくれた。大きくなって、気遣いもできるらしい。
婿殿、娘、孫と私と4人でスタバはないけど砂場はあるよと言うスナバコーヒー店で食事した。にぎやかな食事は楽しかった。そして別れて一般道の国道9号線で帰路についた。なぎさ、またひとりになっちゃった。何言ってんのよ。娘も帰国して来たじゃない。東京で暮らしても日本だよ。それに、あなたには私がついているんだから。
写真は、この日に帰国して来る娘のことで落ち着かなくて、車で広島県をさ迷って立ち寄った備後落合駅。ここが木次線の終点で芸備線の始まりなのである。
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娘が帰国した
2025年04月09日
昨夜の8時頃だったか、今羽田に着いた、やれやれ、と娘が知らせてくれた。3年あまり前、婿殿が電話してきた。仕事で北京に行けるけど、そうしてもいいかと言って。あなたの娘と一緒に北京に行ってもいいかと言って。そりゃあチャンスだよ、行け行け。私はそう答えた。
婿殿の転勤と娘の出産が重なった。我が家に里帰りし、出産することになった。孫との生活が始まって半年が経った。東京行きの飛行機で北京に向かう娘と孫を出雲空港の展望デッキで見送った。離陸して、間もなく視界から機体の姿は消えようとした時、人前もはばからずに両瞼から涙がこぼれてきて途切れることなく頬を伝った。
あれから2年半余り、孫も3歳になった。何度かは里帰りし、会っている。会ってはいるが異国で暮らす娘達、帰国が近づくにつれて心配の度合いは増していった。1週間も前になったら気が気ではなくなった。後何日、後何日と指折り数えた。ご苦労だった。異国での生活は疲れたろ。もう大丈夫だ。今日は出雲市の息子を見舞った。帰り出雲大社の鳥居前を通った。大社の山は山桜が笑うように咲き誇っていた。
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走行距離280キロ
2025年04月08日
8時過ぎに出発した。まず、奥出雲町に行こうと決めた。先祖のお墓に行こう。墓参を終えて三成駅に行った。下りのホームにピンク色の桜だろう咲き誇っていた。だが、ソメイヨシノはまだ2~3分咲き。松江の桜はもう花吹雪になろうとしているのに。
横田を通って道の駅「おろちループ」に向かった。桜はまだ開花どころか固い蕾。道の駅を後にして広島県の県境を目指した。トンネルを抜けた三井野原の分水嶺に標高が表示してあった。727メートルと。桜も咲かぬ訳だと悟った。道の駅の支配人らしい女性に聞いたところ、あのあたりの満開は4月末頃だとか。
広島県をさ迷った。どこへ行こうかと、心が定まらなかった。いつか知らぬ間に、三次市に着いていた。国道54号線を探した。もう帰ろう。もう十分じゃあないか、そう思った。最後の休憩地、道の駅「掛合の里」でCDを交換した。グレープの精霊流しが聴きたくなって。
心のコントロールが効かなくなってどうしようもない時、車で走ることにしている。すると、流れゆく風景が安定剤のような効果をもたらしてくれる。十分薬が効いた頃、戦闘モードを取り返すことができる。これから5年間が私の人生の集大成の期間だ。ある人と約束をした5ヵ年計画、完成させなければと決意に変わる。
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川柳
2025年04月06日
「妻に口答え お返しは朝昼晩のカップ麺」・・・先日、安来市広瀬町の布部交流センターに行った。目的は雛人形を見るためだ。公民館にしては広すぎるホールいっぱいに、それぞれの特徴を持った雛人形が展示してあった。時間をかけて一つ一つ拝見させていただいた。
そろそろ帰ろうかと思った時、隣の部屋に川柳の展示を見つけた。おもしろいなと思った。聞けば、80歳くらいの男性が作ったものらしい。作者ご本人と、奥様との関係性をユーモア―たっぷりに仕上げられたものだ。お二人は、川柳の文面とは逆にとっても仲がいいのだろうと思った。
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満開の桜
2025年04月04日
妻は7年前の今月に亡くなった。その年の夏、松江市が管理するこの公園墓地を墓所と定めた。以来、訪れることが不可能な日以外は毎日の墓参を続けている。今では花も生けなくなったけど、毎日の墓参は欠かさない。蝋燭と線香を灯し、数分だけどふたりで会話する。
インドアな妻を、アウトドア派にしたのは私だろう。キャンプもしたし、休みの日はどこか車で連れ歩いていた。妻もそれを喜んだ。晩年は、今度の休みどこに行くって話しかけたのは妻からだった。サザンが好きだった妻、70年代のフォークソングはふたりの会話の潤滑油だったのかもしれない。
妻亡き後、狂ったように車で走り回った。ドライブは、妻の笑顔と寄り添うのに向いていた。春は、あちらこちらに桜の花を見た。あれも、妻とふたりで見た桜だなと思っても愛でる気にはなれなかった。そんな心の余裕など今の私にはありゃしない。だが、ここの桜だけは違う。妻とふたりで愛でている。この坂道を少し上った左手に妻の墓所はある。