店主日記

  • かあちゃんの詩 2025年08月24日

    ひまわり 8月24日は奥出雲町三成の、「愛宕祭り}の日だ。私が暮らした地区、三沢の「十七夜」には出かけたことはないが、三成が近いのもあって、愛宕祭りには毎年でかけていた。本町に神楽の櫓があって、そこにしがみつくようにしてヤマタノオロチが登場する演目を見ていたものだ。60年振りに行ってみたい気もするが・・・。

     

     7年前の愛宕祭りの前日、23日は妻の月命日でもある。他界して4ヶ月が経った。もう二度と会えないことを実感し始めて、そのことが確実になったこの月命日の日に、ある決意をした。妻の日記を書こう。毎日の生活に、妻の思い出を絡めて日記を書こう。そう決意した。そして昨日、「かあちゃんの詩」日記は7年目の最終日記が完結した。

     

     今朝は、いつもの倍の文字数で8年目の最初の日記を書き上げた。最初は思い出を絡めようと思っていたが、それが今では会話形式になっている。朝、出勤する時仏壇に向かって、じゃあなぎさ、これから出かけるね。今日は日曜日だから早く帰って来るよ。そう話しかけるのが、そのまま日記になって、・・・だからいつまでも一緒だよって、そう思って書いている。

  • こうさてん 2025年08月22日

     「東京ララバイ 部屋がある窓がある タワーも見えるけど 幸せが見えない だから死ぬまで ないものねだりの子守歌」

    と締めくくって「東京ららばい」の歌詞は終わる。そうだよ、そうだよねえ。君も分かってくれるんだ。そうなんだよねえ。

     

    こうさてん 先日、三瓶山の東の原の散歩の時見つけた。散策路を少し歩いて引き返してきたらこの立て看板があった。この写真を写した場所から説明すると、左手に大駐車場があって、右手のすぐそこに石見ワイナリーの建物がある。そこに、ひら仮名で、交差点と書いてあった。え、交差点?。どこに?。

     

     そう言えば少し先に、この道と観光リフトに行く道と交差する部分がある。でも、こうして大げさに立て看板を立てて注意喚起する必要があるのだろうか。???。と思った。でもジョークと考えれば、などとひとり合点して、ふと思った。

     

     そう、私にも交差点が必要なんだ。交差点で、私自身の生活に変化を付けなきゃあ東京ららばいですべてが終わってしまう、そう思った。でもな、と言うもう一人の私がいた。東京ららばいもまんざらじゃないもんな。だからさ、繰り返せばいいじゃないか。そうだな、東京ららばいと、交差点を繰り返そう。そうだな、そうしようそうしよう。そう決めた。

  • 孫が手をつないでくれた 2025年08月20日

     休みなのに早く目が覚めた。エアコンを消した。前後の部屋を網戸にして、陽の当たる部屋の遮光カーテンを閉めた。扇風機のみで軽い朝食を済ませて、娘達に叱られるだろう乱雑な、形だけの掃除機を終わった。そして出発。出雲市の息子を見舞わなければ。胴体だけで、手足の拘束はほどかれていた。それにしても、と思った。

     

     その後、いつもの三瓶山に向かうことにした。ひとりドライブ中の私は口をきくことはない。それが孤独が孤独を呼んでしまうことになる。いつもの道の駅「キララ多伎」を珍しくスルーした。大田市街地のコンビニに寄ってサンドイッチと冷たい缶コーヒーを仕入れた。レジ係の、30台?女性の対応がすごく爽やかだった。二品で両手を塞いで玄関ドアを出ようとした。向こうから入店しようとしていた若い男性がドアを手前に引いて、さっとした手の動きにあわせてどうぞと言ってくれた。爽やかだった。このコンビニのお陰で、久し振りに人の優しさに触れた気がした。

     

    律人と いつものコースで北の原の木陰に車を停めた。サンドイッチをほうばった。爽やかなレジ係の女性の顔が浮かんできた。ドアを引いてくれた男性の優しい顔が浮かんできた。そんな気持ちになる私は、生活の苦しさや、別れの辛さを味わった経験者だからかもしれない、そんな気がした。今日は良い人たちに出会った。そう思って飲む冷たい缶コーヒーは美味しかった。

     

     西の原に行き、東の原で散歩して、頓原町の国道54号線に合流した。歌姫と冠したCDのNO12の中原理恵さんが歌う「東京ららばい」を選んだ。ボリュームをいっぱいに上げた。その歌を何度も繰り返しながら、車は国道の下り坂を60キロのスピードで下っていった。大音量の車内の私の記憶は、何もかも浮かんでは来やしない。幸せな瞬間なのだろう。東京ララバイは、私に似合った歌だと思った。

     あ、そうそう。皆さんはこんな運転なさらないでくださいね。これは40年間無事故無違反表彰の、そしてプロドライバーだった私の特殊能力なんですよ。

     

     写真は、盆の13日、娘達と孫と4人で奥出雲町に行った。先祖の墓参を終えて、鬼の舌震に行った。駐車場から舌震に行く時、孫が手をつないで一緒に歩いてくれた。この日、手つなぎデビュー日なのだった。

  • 書けば心安らぐから 2025年08月18日

    宙瑠 10時予約のお客様の対応を終えて、チャイルドシートを返しにレンタル会社に向かった。担当女性から返却シートをもらった時、夏休みは終わったんだと思った。このまま事務所に帰るのは空しい気がして、少し車で走ることにした。大根島の海岸通りを走ることにした。もの思う時はドライブがいい。

     

     二人の娘と、孫が東京へと帰って行って、今年はどうしてこうも寂しいのだろうと思った。いつもとは違う気がした。娘達が、母に似てきたからだろうか。孫が成長して、その存在感が増したからだろうか。いや、それだけじゃない気がした。妻に会いたいと言う気持ちがいつも心の中を巡っていた。娘達がいて、寂しい気持ちではないのに、いつも妻に会いたいと思っていた。

     

     いつしか、私の心は奥深い森の中をさ迷っていた。木立が、空を覆っていた。所々に、陽の指す場所がぽっかりとあってそこだけが明るかった。その僅かな陽光を得て、朽ちかけた大木の根元があった。そしてその片隅から新しい二葉が育とうとしていた。それを見て、ああ、そうなんだと思った。死別しても、まだ愛は育ち続けているのじゃないか、そう思った。

  • 選ばれし者、それとも 2025年08月17日

    ひまわりの花 もう一日休めばいいのに、仕事に出てきてしまった。パソコンを眺めながら楽しかった盆を思い出していた。今朝も、昨日帰って行った長女からラインが届いた。「最高の夏休みでした。またすぐ帰るけん」と。そしてこう返しておいた「うん、すぐ帰っておいで」と。

     

     いつもそうだけど、娘達がいる時は特に強く思うことがある。今ここに、なぎさがいたらどんな顔をするのだろうか。今ここに、なぎさがいたら何を言うのだろうか。今ここに、なぎさがいたらどんなに孫を可愛がるのだろうか。はち切れそうな、その時の嬉しそうな顔が浮かんでくる。

     

     よく考える。ニーチェの本を持って歩いた若い頃と全く違った人生をよく考える。楽しかった妻との家庭生活。それも7年前に終わった。心に残る妻との思い出の生活。現実では無い心の中だけの思い出の生活。心の中の思い出が現実へと、そして未来へとつながっていく非現実的な世界。何かの為に、私は選ばれし者なのだろうか。それとも、見捨てられた者なのだろうか。

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