店主日記

  • あじさいの会 2025年12月19日

     午前中、「あじさいの会」の月例会に参加した。あじさいの会とは、日本自閉症協会島根県本部松江分会なのである。今日は、11人の参加があった。それぞれのお子さんの障害程度は違うけれど、同じ自閉症児、者を持つ親同士、そうだよねって、分かりあえるところは多い。

     

     その後、少人数で昼の食事会。あるお母さん、久し振りだね、何年ぶりだろう、と言ったら、何年振りかなんかじゃないよ、何十年ぶりだよ。そう、長いこと会っていないお母さんだった。奥さんが亡くなってから会っていないもんね。妻はこのあじさいの会の、月一回の通信文を作る担当だった。妻が原稿書いて、私が、その確認作業をする役目だった。パソコンは変わったけれど、その原文は今でも残っている。

  • 定休日 2025年12月17日

    雨 もっと眠るつもりだったのに、気になることがあって8時に目覚めた。気になることが気持ちの中で大きく膨らんでいって、じっとしておれなくて朝食も摂らずに出勤した。メール見て確認して、1件の問い合わせに答えて、電話2本入れて、安心して大雨の中、出雲市に出発したのが9時30分。

     

     入院中の息子を見舞って湖北線を通って帰ってきたら午後1時。朝確認の契約書をプリントして、我が社の情報を書き込んで印鑑押してこれで準備OK。これで何が起きても土曜日の重要事項説明には間に合う。3時過ぎたので1週間分の食糧の買い出しにスーパーマーケットに。

     

     4時過ぎからおでんの仕込みに入った。5時に極弱火の火にかけてシャワーを浴びた。煮込み時間が足りないから今晩はチンのカレー。明日からの数日間、おでんの夕食を楽しもう。休みなのにいっぱい働いた。こんな日は殊更に酒が旨い。ゆっくりと楽しむことにする。

  • 夢があるからね 2025年12月16日

     先日の日曜日の深夜、ライン着信の音で目が覚めた。こんな夜更けに誰からだろうとスマホを開こうとした。ラインが開かない。3度ほどタッチしたらラインが消えた。どこかに飛んで行った。そう言えば、そんな話があったな、と、思い出した。

     

     月曜日の朝、娘に電話した。ラインが消えたよって。だから用事があったら電話しろって。昨夜、ラインフレンドのある女性に電話した。案の定、ラインしたけど既読にならないからおかしいなと思った。そう、具合が悪くなって、くたばったと思われたかもしれない。

     

     だけど、そう簡単にはくたばらないからね。私には、まだ叶えなきゃあならない夢がある。その夢を現実にするまでは、くたばらないからね。それに、短命だった父の分も、母の分も、そして妻の分も生き抜くからね。

  • 四季の歌 2025年12月13日

     先日の水曜日の定休日、珍しくトンカツ肉2枚入りと、サバの味醂干し2枚入りを買ってきた。水曜日には、先週買った鶏のもも肉があったのでこれを何とかしようと考えた。そこで、妻が亡くなってから食べていないから揚げにしようと決めた。妻の作り方を思い出し、最後に2度揚げしたらカラッと仕上がって旨かった。

     

     次の木曜日の夜、トンカツカレーを作ることにした。事務所の近所のコンビニで、チンするだけのボンカレーを買ってきた。1枚のトンカツ肉に衣をつけ、揚げた。カレー皿に、温かご飯を入れ、6枚に切ったトンカツを乗せ、チンしたカレーをかけた。昔、喫茶店でよく食べた懐かしい味を思い出した。

     

     そして昨夜、たまご丼に焼いた1枚のサバの味醂干しを添えて食べた。今週はいつもには無いものを食べたなあと不思議な気がした。今晩はたこ焼きでちょっと休憩、明晩は、もう1枚のトンカツ肉でトンカツ丼作ろうかな。そうだよ、こんな小さな楽しみでも、生きる力になるんだよ。

     

     この日記書く前に、1件のアパートを案内し、入居申し込みを頂いた。そしてこれを仕上げた今、どこからか、芹洋子さんが歌う、「四季の歌」が聴こえてきた。はーるを愛する人は こーころ清き人・・・。そしてなぜか、泣けてきた。

  • 柿とそして竜宮城 2025年12月11日

     昨日の日記に、柿買いに行こうかなと、この店主日記に書いた。そして、道の駅「本庄」に向かった。まだこの時期に売れているのだろうかと心配していたが、あった。売れていた。合わせ柿じゃない方の、味柿が売れていた。4個入りで300円のを買った。

     

    室内 一人の夜長は、いろいろなことを考えたり想像したり、過去の記憶を思い出したりする。だからたまには辛い時だってある。そんな私を解放してくれるのは、酒だったり、夕食後のデザートの柿だったりする。そして昨日の日本一小さな美術館も。

     

     秋になると、学校帰りのランドセルを縁側に放り出して、一目散に隣にある畑に植わった柿の木に上った。赤く熟れた実を見つけて、もぎ取って頬張るのである。それがお腹いっぱいなるまで続く。そんな屈託のなかった子供の頃を思い出すと、なぜか心安らいでくれる。

     

     モノクロームの写真を見て、新聞社の暗室が懐かしいと書いた。「ぼうや」と呼ばれた雑役時代、デスクに頼まれてある写真を写しに行った。それを現像してデスクに差し出したら、行ける!景さんやるんやなあと言われた。その後の私の新聞社の仕事は、カメラマンもどき。高校生で、こんな仕事してるの日本で俺ぐらいだろうなと、誇らしかった。青春時代の良き思い出だ。こんなこと思い出すこんな夜は、さながら竜宮城だ。

     

     甲子園の夏の県大会が近づいたある日、景さん、取材頼む。デスクにそう言われた。夜間高校が始まる5時前に行くと、昼間部の松江工業高校の野球部が練習に励んでいた。練習風景の写真を写した。監督に、主将に話を聞きメモに取った。あくる日支局に行き、写真を現像して、野球部紹介記事を起こす。大いに添削されて、後日の島根県版に載った。そうだよな、あの頃の俺、光ってたよな。

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