店主日記

  • ちさんちゃん、安らかに 2026年01月06日

     昨夜、沖縄に住む二番目の兄の息子から電話があった。元旦に父が亡くなったと。そうか、と思った。兄にもとうとう迎えが来た、そう思った。順番が来たんだなあと思った。悲しいとは思わなかった。寂しいとも感じなかった。ただ、なぜか電話を切った後、涙がこぼれてきた。とめどなく。小さいあんちゃんだったから、ちさんちゃんと呼んでいた子供の頃が蘇ってきて。

     

     私はこの兄に、妻が亡くなったことを伝えなかった。わざわざ、沖縄から葬式に来る必要はないと思っていた。伝えれば、来いよって、そう言っているようで、だから伝えなかった。そもそも、数十年会ったことも無い。電話で話したのは20年ほど前。それ以来、連絡は途絶えていた。

     

     彼は、私の結婚式には、喜んで沖縄から駆けつけてくれた。前の晩、我が家で夜が更けるまで二人で飲んだ。人生を語り合った。遠い存在の兄弟のようだが、決して仲が悪いわけではない。お互いが、信じあっていた。固いきずなで結ばれていたと思う。悲しくはなかったが、だから、とめどなく涙がこぼれたと思う。ちさんちゃん、安らかに。・・・

  • 正月休み最終日 2026年01月04日

    ラッシェル車 昨夜、10時に布団に潜り込んだ。今朝10時、布団から滑り抜けた。12時間寝たことになる。正月の疲れも飛んで行ったか?。先日、婿殿の両親からいただいた大きなもちもちの菓子パンをリュックに入れた。これが今日の朝食と、そして昼食になる。

     

     いつものように公園墓地に向かった。妻の墓石に額ずいて誓った。なぎさ、君が亡くなった悲しさに俺は負けていたよ。この7年間、寂しさに負けていた。だけどもう大丈夫、今年の俺は仕事の鬼になる。茨の道とは言わないが、俺にはラッシェル車が通る雪道が似合ってる。難儀な道が似合ってる。昨日も今日も、パソコンと格闘だ。

  • 二日 2026年01月02日

    山陰道 今日、二人の娘は帰って行った。長女は鳥取市にある婿殿の実家へ。末娘はやくも号、新幹線を乗り継いで東京のアパートに帰って行く。そんな訳で、朝9時半に自宅をみんなで出発した。末娘を松江駅に見送った。今度いつ会えるだろう、ちぎれんばかりに手を振った。そしてその足で鳥取市に向かった。

     

     雪が降って積もってきた。鳥取に向かいながら、娘がどうすると心配そう。明日でもいいよって言う。いや大丈夫だ、行こうと私。何とか無事に鳥取に着いた。婿殿に、そのご両親に挨拶して帰路に付いた。またひとりぼっちになっちゃった。あんなに賑やかな6日間だったのに。妻の顔が浮かんできた車内。寂しさに、涙が頬を伝って落ちた。

     

     夜になって、一人炬燵で飲んでいた。長女の言葉を思い出した。明日でもいいよ。長女は、明日の方が良かったのかもしれない。もう一晩、私の家に泊まりたかったのかもしれない。どうして、そうだな、明日にしようかと言えなかったのだろう。すまなかったと思った。ごめんなってつぶやきながら、また涙だ。

  • 元旦 2026年01月01日

     午前中、みんなして出雲市に息子を見舞った。帰り、どこかに行きたいと言う孫の願いでフォーゲルパークに行った。正月元旦とあって、来客少なめ。お陰でじっくりと遊べた。楽しいなと思った。ほんと、孫って可愛い。

  • 大晦日 2025年12月31日

     27日の夜、米子空港に二人の娘と孫一人を迎えに行った。29日、みんなで車で国道9号線を西に走って道の駅「キララ多伎」に行ってお昼を食べた。30日、奥出雲町の「奥出雲おろちループ」に行って孫殿が雪で遊ぶのが嬉しかった。そして今日の大晦日、部屋でグダグダして、間もなく、大晦日の、我が家恒例の「すき焼きパーティーを」開こうとしている。

     

     我が家系には、大晦日のすき焼きパーティーなどは存在していなかった。極普通に、年越しそばを食べる、それが大晦日と言うものだと思っていた。が、妻がすき焼きなるのもをその日に取り入れたのである。以来、大晦日の夜はすき焼きパーティーが定着した。今日、その準備は、私がする。妻の面影をしのびながら、一緒に食べような、なぎさ。そうつぶやきながら。

     

    多伎海岸

     

     写真は、キララ多伎の展望所の前の広場から先日写したものだ。テトラポットが波を弾く。陽光を反射するその輝きが美しくてシャッターを押してみた。

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