店主日記

  • 連休最終日 2023年05月07日

     3日4日5日と連休しますと張り紙をした。だが連日出勤した。仕事も少しした。昨日からフルタイムで働いている。今朝が明けた。出勤のため一歩外へ出たら肌寒い。小降りだが雨も降っている。そしてカレンダーは連休最終日。

     

     なぜか、過去の5月の連休の記憶が蘇ってきた。妻がいて、3人の子供たちはまだ小さくて、朝ごはんを終えて外出の準備をしている。この日はどこに行ったのだろう。広瀬町の河原へのデイーキャンプだろうか。それとも、温泉津温泉に一泊旅行の日だったのだろうか、定かではないが天気の良い連休の日の朝の光景が蘇ってきた。

     

     そんな記憶と、この天気の湿っぽさが相まって寂しさが増してくる。今日は、こんな気分だから仕事なんかできそうにない。だが出勤してきた。過去の連休が楽しかったから、もうあんな楽しい日々はやって来ないから、今日は気休めに文庫本を読もうと思っている。

     

     先ほど、数ページ読んだ。先日書店で3冊買ってきて、2冊読み終えて、残った1冊だ。内容もろくすっぽ見ずに買った推理小説だ。病院で、間もなく、いやもう意識が回復しないかもしれない息子を見守る夫婦がいる。そんな場面から始まっていた。悲しそうだけど、でも、読もう。

     

     時生(ときお 息子の名)が子供の頃、RV車を買って北海道一周旅行をしたりした。話は我が家に帰る。末っ子が産まれた時、大きめのRV車を買ってキャンプをしたりのアウトドアで楽しんだ。妻もそれを好んでいた。・・・「時生」という東野圭吾の推理小説だ。

  • 棚田 2023年05月06日

     記紀神話に八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の物語がある。スサノオノミコトがイナタヒメを八岐大蛇から救ったという話だ。奥出雲町を車で走っているといたるところに棚田を見ることができる。この両者は関係がない話ではないそうだ。棚田は、鉄穴流し(カンナナガシ)という砂鉄採集方法によって削られた山の山肌に作られた田んぼらしい。

     

     そんな太古の昔に、老夫婦の娘たちが毎年、次々と大蛇に食べられていく。ある書物で読んだことがあったが、これは人の命をも奪っていく水害を言ったたものではないかと。八岐大蛇の8個の頭と、8本の尾は斐伊川の数々の支流だという。それを退治した時に流れ出た血液が斐伊川を赤く染めた。これは、鉄穴流しで大量に流れ出た土砂の濁りではないかと。

     

    棚田

     

     そして、退治した八岐大蛇の尾からは大刀が出てきた。これは鉄穴流しとたたら製鉄のことらしい。先日行った奥出雲町でこの棚田を見た。記紀神話はこれを編纂した人々のロマンだと思った。そして日本人てなんて素晴らしいセンスの持ち主なんだろうと、この写真を見て思った。私にも、その血が流れているのだろうか。そして彼女は、何を思い描いてこの写真を写したのだろうか。

  • トロッコ列車 2023年05月05日

     昨日、この店主日記を書き上げたところで思いついた。連休で休みだから、先日クリスマスローズを一緒に見に行ったあの人を誘ってみよう。そう思いついた。いいよという返事が返ってきたので事務処理を途中で切り上げた。この頃、どうも人恋しくてたまらない。どうせ奥出雲町に行くのなら隣の助手席に人がいる方が楽しくていいだろう。

     

     12時半に松江出発。故障の愛車をいたわりながら、だからアクセルワークが慎重になる。でも会話が楽しい。墓参にも付き合ってもらってその後、亀嵩に行ってみることにした。道の駅「酒蔵奥出雲交流館」で、この頃奥出雲町に行く度に買っている「どぶろく」を買うためである。

     

     奥出雲町には、交差点の信号が少ない。でも、時々見かける。彼女、意外なことを発見した。信号機の信号は、青、赤、黄の電球が横並びになっているものだと思っていた。が、奥出雲町の信号は縦並びになっている。どうしてなのか、連休が明けた今度の月曜日に三成署に確認して報告しようと思う。

     

    おろち号

     

     木次線の観光の目玉、トロッコ列車に出会った。三成駅に入ろうとしているところだった。撮り鉄達の姿がいっぱいだ。このトロッコ列車「奥出雲おろち号」は今年度で廃止になるとか。最後の勇姿なのである。助手席の彼女撮影。昨日は楽しかった。

  • 墓参 2023年05月04日

     朝の墓参の時、妻のお墓の近所にお墓を持っていらっしゃるAさんに会った。お久しぶりですと言ってお互いにあいさつを交わした。Aさん、先日の私の新聞投稿を読んだとおっしゃった。とっても気持ちが良く分かるともおっしゃった。彼女のご主人も、妻と同じ頃に亡くなられたらしい。

     

    参道の松

     Aさんと言えば、年齢は私より少し先輩だ。だけど、若々しい。私よりずいぶん若い感じに見受けられる。スマートだし、階段をさっさと下りる身軽さがある。お顔立ちもチャーミングだ。特に目が可愛い。その昔、と言っても小学生の頃か、若い女の先生にあこがれたことがある。そんな気持ちを抱いてしまうAさんなのである。

     

     今日の午後、田舎の先祖のお墓参りに行ってこようと思っている。調子の悪い愛車に気遣いながら、久し振りにお墓参りをしようと思っている。父と母と長兄に、私の近況を報告しようと思っている。元気だから安心しなよって言ってこようと思っている。午前中は、手つかずの事務処理だ。

  • 5月1日 2023年05月01日

    葉 5月になった。いかにも五月晴れらしい朝を迎えた。温かい。事務所前の落ち葉を掃き清めた。その瞬間風が強くなった。事務所裏からクスノキの落ち葉が舞い踊って来て、あっという間に再び事務所前に散らばった。そしてそれがつむじを作り始めた。・・・これが人生だよ。順調にいかないのが人生だよ。これが人生の縮図だよ、と思った。

     

     昨夜、私はどうして、妻に対してこんなにも未練がましいのだろうかと考えてみた。どうしてこんなに悲しいのだろうかと考えてみた。だが、なかなかに結論は見いだせなかった。そしてしばらくの時間思考することをあきらめた。そしたらやがてふと、と言うか突然に思い当たることがあった。

     

     私と妻は、いつも一緒だった。仕事もプライベートもいつも一緒だった。いつも一緒に居て苦痛じゃないのって他人は言った。いいや、苦痛なんかじゃないよ。とっても気楽で楽しいよって妻とふたりで答えていた。だから、休みの日も朝から晩まで一緒に居た。一緒にドライブ小旅行を楽しんでいた。

     

     私は、妻のことが大好きだった。心の底から愛していた。人を好きになるって、それは能力なのかもしれない。私に与えられた、人を愛することができる能力なのかもしれない。・・・そう思った。その能力は、私の人生から来ているのかもしれない。あるいは妻が与えてくれたものかもしれない。そうだな、そのふたつが合わさったものなのだろうな。昨夜、そんなことにふと思い至った。

     

     朝、カウンターに置いた飛沫防止のパーテーションを取り除いた。風景がすっきりとした。開放的になった。こんなことでも、人の気持ちって、変わるものなんだ。そう思った。

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