店主日記

  • キンピラゴボウ 2024年10月12日

     4日目の鍋料理に材料を継ぎ足して食べ終わった昨夜、車で片道1時間の出雲市行きの仕事で疲れたかなと思っていた。が、案外そうでもなかった。長かった夏の暑さの疲れがどうやら癒えたのかもしれない。バレーボールのテレビ観戦していたら案外早くに試合は終わった。はて、何しよう秋の夜長を。そうだ、キンピラゴボウ作ってみようか。でも作り方知らないよ。スマホで調べたら。めんどくさい、自己流でいいよ。

     

    キンピラ タワシでゴボウをこさげて洗った。斜めに細長い輪切りにした。それを縦に千切りした。水につけてアクを抜いた。よし、これでOK。それを油をひいたフライパンに入れた。味付けどうしよう、砂糖を少し入れてみた。味コショウを振った。酒も入れてみた。そして最後は醤油で仕上げた。

     

     味見した。旨いと思った。味見のつもりが大半を食べてしまった。写真が残ったキンピラだ。そしてしばらくの後、我に帰った気がした。私はいったい何をしているのだろう、何を考えているのだろうこんな夜更けに・・・。そうなのかもしれないね・・・。きっと、寂しいからなんだよ、ひとり暮らしが。

  • 出雲今市 2024年10月11日

     私の故郷では、出雲市に行くことを今市に行ってくる、そう言っていた。出雲市には今市町があって、そこが商業や文化の中心だったからだろう。そのうちに、出雲今市になり、出雲市と呼ぶようになっていった。そんな小さな歴史にも、それぞれの時代の暮らしぶりが想像できるからおもしろい。

     

     早い昼食を済ませて、資料を持って出雲市に向かった。お客様は、私と同い年でひとり暮らしの女性だ。ひととおり仕事の話が片付くと雑談になっていった。そして孫の話。可愛くてしょうがないらしい。一時間ほど話し込んだ後、入院の息子を見舞った。すやすやと眠っていて安心した。

     

     帰り、昔テレビ放映された日本まんが昔話に描かれそうな雲がいくつも浮かんでいた。なぜかその雲が、生後半年の孫を連れて北京に行く娘を出雲空港で見送ったのを思い出させた。ジェットエンジンをうならせて飛行機は羽田空港を目指して飛び立った。やがて、きらりと光って視界から消えた。知らぬうちに、両瞼は今にもこぼれそうなほどの涙を溜めていた。出雲、出る雲と書くんだなと、あらためてそう思った。

  • 海…日本海 2024年10月10日

    日本海 妻の墓石の隣の隣に、時々出会う女性のご主人の墓石がある。彼女私よりふたつ年上らしい。その方、車には乗らなくなった。盆の日に、毎日は来れないだろうと、彼女が供えた墓石の花に2回ほど水を足してあげた。昨日出会った時、水を足してくれたのはあの人じゃないって娘が言うから、と。

     

     鳥取市のあるギャラリーで、兵庫県の温泉町のある寒村を写した写真展があることを知った。遠いけど、鳥取なら行きたいなと思った。妻とのデートの場所だったから、と思った。墓参の後、向かった。淀江で山陰道を下りて国道9号線を走った。山陰道の完成で国道はめっきりと車が少なくなった。走り良くなった。やがて左手に日本海が見えてきた。

     

     天気は良いが、海は荒れていた。風が運んだ海水のしぶきがフロントガラスを曇らせた。この道、君との兵庫県への里帰りによく走ったよなと、助手席の妻の遺影に話しかけた。そうだね、と返事が返ってきた。息子が助手席で、私とふたりの娘は後部座席だったね。あの時のホライゾン、かっこよかったね。あの車でよくキャンプに出かけたねと話しかけてきた。

  • 生命力 2024年10月05日

     息子を転院させた3日の夜、焼酎のお湯割りを二杯飲んだところで疲れが頂点に達した。立って歩くのがやっとのこと。布団に転がり込んだ。そして4日の朝、大きな気怠さをもって4時に目覚めた。以後、眠れなくなった。疲れすぎると、眠れなくなるらしい。

     

     今朝は7時過ぎに目が覚めて、眠り足りなくて8時まで布団の中でぐずぐずしていた。まだ疲れは残っているが昨日ほどではない。3日も疲れを引きずるなんて、歳をとったものだと思った。だが年齢は、明日を生きる生命力を逞しく育てる能力なのかもしれない。出勤の服に着替える時、ふとそんなことを思った。

  • 退院そして入院 2024年10月03日

     肌寒い朝だった。9時前に事務所を出発した。出雲市の県立中央病院に10時過ぎに着いた。。総合受付で手続きを終えてエレベーターで9階まで上がった。数人の病院職員さんが息子の退院の準備をしていた。そして再び、こころの医療センターに向かった。再入院だ。

     

    雨の日 医療センターで、主治医や相談員の方と懇談をした、再入院の手続きを終えた。疲れた気がした。今回のことで、重度の障害を持つ息子には、母性が必要だと痛烈に感じた。母がいれば、息子にとってもっと安心な病院生活ができただろうと、そう思った。疲れていたけど、少し回り道をして帰ることにした。

     

     雨が風景を曇らせていた。先日の彼岸の日には見なかった彼岸花が、あちらこちらで咲いていた。今年は暑かったから開花が遅れたのだろうと思った。出雲大社の鳥居前は多くの観光客で賑わっていた。どの顔も、幸せいっぱいそうに微笑んでいた。今朝から何週目だろう、この一枚のCDは。12枚セットの中で、一番気に入っている歌声がエンドレスにスピーカからこぼれていた。

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