店主日記

  • ヒグラシの初音 2020年07月20日

     大相撲が始まった。5時に仕事を終え、5分で帰ってすかさずシャワーを浴びた。リビングのソファーに座って缶ビールを飲みながらテレビの大相撲を見る。この瞬間が一日で一番嬉しい。

     

     最後の一番で隠岐の海が白鵬に負けた。刹那、正面の茶臼山からかすかな鳴き声が聞こえた。テレビのボリュームを絞り、耳を澄ます。ヒグラシだ。ヒグラシの初音だ。2匹ほどだけど、お互いに呼応するように鳴き合っている。

     

     昨年の日記を見た。7月18日にこの初音を聞いている。今年は19日。自然ってすごいな。寸分の狂いもなく回っている。この初音を聞くと、幼かった頃の田舎の我が家を思い出す。

  • 2020年07月19日

     日記付けながらコーヒーを飲んで、youtubeで山本潤子の歌を聴く。少しボリューム上げて「緑の季節」を聞きながら、いつ聞いても声が美しい。玄関に出てみる。開けっぱなしの玄関ドアから、山本潤子の声が聞こえてくる。透き通った美しい高音ががよく聞こえてくる。今8時15分。静かだなあ。

  • 旅の実行 2020年07月16日

     14日、墓参を終えて9時出発。西に向かって走ることにした。どんよりと、いつ泣き出すのだろう空模様である。ところが、出雲市を過ぎたあたりから晴れ間も見えてきた。快調に走って江津市についた。町の様子が見たくて旧国道9号線を走る。江の川を渡る時、濁流を見た。すさまじい流木の数。赤茶く濁った水は海をはるか向こうまで染めている。

    桔梗

     

     津和野に着いた。今日はここで泊まろう。ビジネスホテルを予約し、車を預けて歩くことにした。また降りそうな空模様。傘を持つ。駅前ホテルからはるか遠いところに森鴎外記念館がある。旧宅を見た。裏庭に、桔梗と女郎花。記念館は私一人。受付の女性と少しばかり話す。

    鳥居

     

     15日、朝早くに太鼓谷稲荷神社を訪れた。霧雨で、赤い鳥居と赤い社殿が映えている。町並みがかすんでいる。こんな風景もまたおつなもの。8時、帰途につく。日原の道の駅でお土産のビスケットを買う。行きはよいよい帰りは空しい。旅って、何のためにするのだろう。明日の英気を宿すため? いやいや、寂しさの再確認のため。でもまた旅しよう。

     

      妻のいない悲しさに耐えきれず、車で江津に走って渡部陽一氏の写真展を観た。江の川の氾濫を見た。あれからちょうど2年。えぐられるほどの痛い悲しみは今はない。だがそれは、深く大きなって静かに私を泣かす。

  • 2020年07月12日

     旅と旅行の意味はどう違うのだろうと、20年前に買った集英社の国語辞典で引いてみた。

     旅=家を離れてある期間、ほかの土地へ出かけること

     旅行=旅、旅すること

    とある。何だ、一緒じゃないか。だけど、私は旅という言葉が好きだ。旅と言えば、さすらうような意味を感じてしまう。旅行と言えば、計画を立てたものを言うような気がする。だから私は旅と言う表現がが好きなのである。

     

     今度の14日と15日は月に一回の我が社の連休の日だ。朝早くから、車に乗って出かけようと思っている。狙いは西。ただそれだけ。走れるところまで走ってみようと思う。宿泊は、泊まりたくなった町で宿をとる。風呂と、わずかばかりの夕食と、そして酒。できうれば、話好きな亭主が居れば。

  • 七夕 2020年07月07日

     子供の頃、旧暦の7月7日だったかもしれない。竹を切って来て、兄弟仲良く短冊に願い事を書いて吊るした。それを家の前の川に持って行って立てたものだった。そんな、生きていく切なさを知らない無邪気な頃が懐かしい。

     

     野生でひとりで生きていけない、親からはぐれた子供や傷ついた動物をを保護する施設がある。成長したら野生に返すのだが、その子たちに野生の中で再会するテレビ番組があった。その子たちは、当時なついていた保護士を覚えている。どんなに大きくなっても、何年も会わなかったのに覚えていてる。そして甘えていた。もし人と人なら、一層のこと会いたいと思うだろう。いや、会いたい。年に一度でいい、織姫と彦星のように。そして抱きしめたい。

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