店主日記
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サギソウ
2020年08月15日
若い頃、一緒に暮らしていた母が亡くなって悲しくて人の命って何だろうと考えた時がしばらくあった。死んでいく人がその時、何を思うのだろうと本に学ぼうと思った。特に、戦争やあるいは切腹さえする戦国武将物を選んで読んだ。山岡荘八の徳川家康、そして太平洋戦争は自然と読書に力が入った。

私が幼い頃、病弱だった母。遊んでもらえなかった寂しさもあった。そんな母がある日腕枕をしてくれた。でも、頭の重さを軽くしようと寝たふりして頑張った。母が大好きだったから。中学校を出て夜学に進んで独立したのも、母に苦労をかけたくないその一心からだった。
松江市で一緒に暮らすようになって、休みのたびにドライブに連れて行った。母も喜んでいた。母は山野草が好きだったので行く先に咲いている花の名前を私に教えた。母の死後、私もその名を覚えようと山を歩き回った。三脚担いで、一眼レフに接写レンズつけて山を歩いた。花を見て、母の気持ちになりたかった。
以来、山野草は私にとっては母そのものだ。昨夜のテレビである。広島県の「世良夢公園」でサギソウが見ごろだという。いてもたてもいられなくなった。そして朝7時出発で世良夢公園に行った。妻との思い出も多い世良町。尾道の娘にも会ってきた。これがサギソウなのである。飛んでいるシラサギに似ているからこの名がついた。大きさは、モンシロチョウの小さい羽一枚とどちらが大きいだろう。曇り空ならもっときれいに撮れただろう。
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暑いいちにち?
2020年08月10日
盆前ではあるし、来客もないだろう。それにこの頃暑さで疲れている。ゆっくり出勤しようと思った。弁当と言うにはおこがましいが昼食を詰める。そう、私はコンビニやマーケットで買う出来合いの弁当は好まないのである。粗末でもいい、自分で作ったものの方が美味しく頂ける。いつもよりずいぶん遅くに自宅を出発した。直接お墓に向かう。活け替えてからまだ5日しか経っていないのに花がしおれている。暑さのせいだ。花立ての水がお湯になり、何時だったかは空っぽになっていた時があった。生け花にとっても苦難の時期なのである。
墓参を終え、走る車の中で空を見上げた。青い空と、浮かぶ白い雲とのコントラストが異様だ。時々こんなコントラストを目にする。台風の前であったり、異常な気象の予測なのであろう。今日は、異常なほどに暑いのだろうか。
異常なことは雲だけではない。松江市で新たにコロナ感染者が100人近く出た。最大級のクラスターだ。昨夜のテレビニュースで言っていた。尾道に住む娘に即刻電話、盆には返って来るなと言った。
ところで黙秘権行使の安倍総理である。日本政府である。コロナ禍のなか、国民はどうしたらいい。どのような暮らし方をしたらいい。そこのところが分からないのである。日本はどのような方向性で行くのか、説明してほしい。説明できなければ、やる気がないならば、辞職してほしい。国民は今、悪夢の真っただ中にいるんだから。
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エアコンは嫌い
2020年08月07日
昨日は猛暑日を記録した。この夏最高。松江市でも日中は35℃を超えた。夕方になっても気温は下がらない。扇風機回しても来るのは熱風。意味がない。仕方なくエアコンを付けることにした。家では今季初めてだ。あれ、リモコンは?
あっちこっち探し回った。汗だくになって探した。30分後にやっと見つけた。裏の4畳半にあった。自分で片付けたくせに、何探してるんだよって自分を叱る。でも涼しいな。エアコン付けて眠ったら、朝起きて首筋と腰に違和感がある。やっぱりエアコンは嫌いだな。でも事務所はエアコン使ってるからご安心を。
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ユニクロ
2020年08月06日
昨日、あれからいつもの花屋さんに行った。いつもちょこっと話しする若い女性の店員さんとまた話す。ジーパンでは暑いから短パン買おうと思うけど、どこに行ったら買えるって聞いてみた。そしたら彼女、ユニクロがいいよって言った。でもあそこ人が多いから恥ずかしいな、と私。大丈夫だよと店員さん。
お墓の花活け替えて、ボウリングを3ゲーム終えてからユニクロに行ってみた。検温パス。消毒もした。店内を歩く。半周しただけで、若いお客が多くて、恥ずかしくなって、1分で店を後にしてしまった。やもめのむなしさを感じた瞬間だった。切なくて、車で宍道湖一周して、またお墓に行った。そして今朝、リビングから見える緑の壁に昨日のアブラゼミを見た。かあちゃん、俺のこと心配なのか。大丈夫だよ。
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セミ
2020年08月05日

庭の桜の木にとまって鳴くアブラゼミを素手で捕まえようとする時、「盆さんが近いけん捕っちゃいけん」と母に叱られた。なんでって聞くと、「ご先祖さんかもしれんけん」って言う。そんな非科学的な、と思う私ではあった。
男やもめにウジがわくって昔の人は言っていた。そうだなって今思う。でも、たまには布団だって干すし、シーツだって洗う。今朝も洗ったシーツをベランダに干した。するといっぴきのアブラゼミがやって来た。竿で半分に折れた半分の一面をゆっくりと歩いている。
え、かあちゃんなのだろうかって思う。懐かしそうに、そして愛おしそうにシーツにつかまって歩いている。いつまでもいつまでもゆっくりとゆっくりと歩いている。かあちゃんだ。そうに違いないと思った。だって、逝ってしまう前の晩まで一緒に寝ていたダブルの布団カバーだもの。




