店主日記

  • 懐かしいな 2021年08月12日

     夏季休暇の二日目である。休みの日にも早くに目が覚める。だが外は雨、危険な雨とも気象予報士は言う。でもどこか行きたい。朝食を済ませ墓参を済ませ、車で出発した。どこへ行こうかと思案するも、目的地が定まらない。気が付けば、妻との思い出深い美保神社の前。

     

    美保関神社

     

     この写真が美保神社の本殿の屋根だ。二神が祀ってあるので本殿も二つある。写真を見ていただくと両殿の千木(屋根の上でクロスした板の組み合わせ)の形にわずかな違いがある。さて、どこでしょう。そしてどうしてなのでしょうか。

     

    青石畳

     青石畳は何度歩いても、その都度趣が違って見える。ひとりぼっちの休日だからだろうか、何か空しい。空しさで見る、雨に濡れた青石畳は愁いが潜んでいるような、そんな気がする。しばし、その空しさを楽しんだ。

     

     千木の違いはと言うと、向かって右の本殿の千木はてっぺんが平たい。左の本殿は天に向かってとがっている。その違いだ。ではどうしてか。右の本殿の祭神は美穂津姫命で女神、左は事代主神で男神、その違いである。この違いは、全国統一らしい。

     

     午後帰って、焼酎のお湯割りをちびりちびりと。テレビ番組で、36年前の今日起きた御巣鷹山の飛行機事故の番組を見た。夫を亡くした今73歳の女性、頑張ってるなと思う。そしてその悲しみは、私と同じなんだなって思った。その瞬間、涙が溢れて止めどがない。・・・焼酎のせいもあったかな。でも、泣いたな。

  • 会いたいな 2021年08月08日

     三年前の妻の日記帳の最初の部分に月間の計画表の部分がある。8月の今日の日付のところに、ケーキの絵が描いてあり、かわいい字で、Happy Birthdayと書いてある。長女の誕生日だ。おめでとう、な。

     

     ネットで、連れ合いを亡くして寂しい時の対処法を見てみる。その人にとって、そうするのがいいのかどうかは個人差はあるだろうが、こんなことも書いてある。文章にしてみる。ブログとか、自分の気持ちを書いてみるのもいいだろうと。

     

     暑さで、体力も気持ちも疲れているからだろうか。それとも盆が近いからなのだろうか、この頃すごく妻に会いたいと思う。そんな気持ちになっている。そして、恋しくて、愛おしくてたまらない。だから寂しい。・・・もういちど会いたいな。そして、もういちど一緒に暮らしたいな。

  • いのちの停車場 2021年08月06日

     私はよく本を読む。難しいのじゃなくて、推理小説とか時代小説とか。今、南杏子の「いのちの停車場」をもう少しで読み終えるところだ。この手のものはあまり読まないが、先日読む本が なくなって、近くのコンビニで買ってきたものだ。

     

     いのちの停車場は、救命救急センターを退職して、訪問診療医として働く女医、白石咲和子の物語である。プロローグで始まって1章から6章に物語は分かれている。6歳の女の子が癌で亡くなっていく5章を今読み終えた。女性らしい、優しい描写が涙を誘う。

     

     3年前までは、映画を見ても、テレビドラマを見ても、もちろん本を読んだって、いくら悲しい場面でも泣いてしまうことなど一度もなかったのに、今は違う。一冊の本で何度も瞼を濡らす。すっかり、大人になったんだって自覚する。

  • 奥出雲おろちループ道の駅 2021年08月05日

     目的地を定めずに車を走らせていると、ここに着いてしまう。どこかと言うと、「奥出雲おろちループ道の駅」の駐車場だ。この駐車場に車を止め、エンジン切って窓を全開にして、サンドイッチ食べながら文庫本を読むことが、今の私にとっての幸せの中でもことに幸せなことなのである。

     

     あ、「トロッコ列車」が着く時間になったと、デジタル一眼レフに望遠系ズームレンズを付けて撮影スポットに立っていた。いつまで経っても来やしない。道の駅の女性がやって来て、故障で動かないから来ないかもしれないと教えてくれた。そうなんか、そう言えば、ここに着く途中、変な所で停車中のを見かけたな。

     

    ヤマボウシ

     

     ところで、この植物をご存じの方はあるだろうか。秋になったらもっと大きくなって桃色に熟れていく。ヤマボウシの実なのである。これが私の幼少期のおやつのひとつでもあった訳だ。ほおっておくと、深紅になって落ちていく。・・・今朝、ある女性に「おじいちゃんでしょ」って言われてショックを受けた。若い、青い実を見つめていると、傷ついた心も癒されていく。昨日のことである。

  • 嬉しい悲しみの涙 2021年08月03日

     私は知らなかったが、障がいを持つ息子のために妻が保険をかけていたらしい。そしてどの通帳からか分からないが今も保険料の支払いは続いていた。そのことが先日分かったので入院中の病院に、書類の申請に行った。妻らしいなと、改めて思う。

     涙

     嬉しいことがあると、当然に嬉しい。喜びが大きいほど心はより楽しくなる。そして私の場合、そのしばらくの後に悲しみがやって来る。妻が聞けば、妻が知ればもっと喜ぶだろうな。そう思った瞬間に悲しみはやって来る。その喜びが大きい程、悲しみは深くなっていく。妙な話だが、先日の夜もそれで泣いた。

     

     私の運転する車の助手席で、私との会話を楽しんでいた妻。私もだが、妻もその時間が一番楽しかったらしい。だから今も、助手席には妻の遺影が座っている。この時間が、私が一番心安らぐ瞬間だ。明日は定休日、サンドイッチ作ってドライブを楽しもうと思っている。在りし日の妻の思い出に、遠慮なく泣こうと思っている。悲しい涙じゃない。二人で暮らした思い出が、限りなく湧き出て来る数々の思い出が、嬉しくて流す涙なのだ。

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