店主日記
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海…日本海
2024年10月10日
妻の墓石の隣の隣に、時々出会う女性のご主人の墓石がある。彼女私よりふたつ年上らしい。その方、車には乗らなくなった。盆の日に、毎日は来れないだろうと、彼女が供えた墓石の花に2回ほど水を足してあげた。昨日出会った時、水を足してくれたのはあの人じゃないって娘が言うから、と。鳥取市のあるギャラリーで、兵庫県の温泉町のある寒村を写した写真展があることを知った。遠いけど、鳥取なら行きたいなと思った。妻とのデートの場所だったから、と思った。墓参の後、向かった。淀江で山陰道を下りて国道9号線を走った。山陰道の完成で国道はめっきりと車が少なくなった。走り良くなった。やがて左手に日本海が見えてきた。
天気は良いが、海は荒れていた。風が運んだ海水のしぶきがフロントガラスを曇らせた。この道、君との兵庫県への里帰りによく走ったよなと、助手席の妻の遺影に話しかけた。そうだね、と返事が返ってきた。息子が助手席で、私とふたりの娘は後部座席だったね。あの時のホライゾン、かっこよかったね。あの車でよくキャンプに出かけたねと話しかけてきた。
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生命力
2024年10月05日
息子を転院させた3日の夜、焼酎のお湯割りを二杯飲んだところで疲れが頂点に達した。立って歩くのがやっとのこと。布団に転がり込んだ。そして4日の朝、大きな気怠さをもって4時に目覚めた。以後、眠れなくなった。疲れすぎると、眠れなくなるらしい。
今朝は7時過ぎに目が覚めて、眠り足りなくて8時まで布団の中でぐずぐずしていた。まだ疲れは残っているが昨日ほどではない。3日も疲れを引きずるなんて、歳をとったものだと思った。だが年齢は、明日を生きる生命力を逞しく育てる能力なのかもしれない。出勤の服に着替える時、ふとそんなことを思った。
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退院そして入院
2024年10月03日
肌寒い朝だった。9時前に事務所を出発した。出雲市の県立中央病院に10時過ぎに着いた。。総合受付で手続きを終えてエレベーターで9階まで上がった。数人の病院職員さんが息子の退院の準備をしていた。そして再び、こころの医療センターに向かった。再入院だ。
医療センターで、主治医や相談員の方と懇談をした、再入院の手続きを終えた。疲れた気がした。今回のことで、重度の障害を持つ息子には、母性が必要だと痛烈に感じた。母がいれば、息子にとってもっと安心な病院生活ができただろうと、そう思った。疲れていたけど、少し回り道をして帰ることにした。雨が風景を曇らせていた。先日の彼岸の日には見なかった彼岸花が、あちらこちらで咲いていた。今年は暑かったから開花が遅れたのだろうと思った。出雲大社の鳥居前は多くの観光客で賑わっていた。どの顔も、幸せいっぱいそうに微笑んでいた。今朝から何週目だろう、この一枚のCDは。12枚セットの中で、一番気に入っている歌声がエンドレスにスピーカからこぼれていた。
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通院の日
2024年10月02日
アスファルトを打つ雨音で目覚めた。起きようか、いや今日は定休日、もう少し寝よう。8時過ぎまでぐっすりと眠って、朝食終えて、掃除機かけ終えて、今日は肌寒いなと感じて、何着ようかと考えた。なぎさ、何着たらいい?。応えもしない、妻に聞いてみた。洗いざらしのジーパン履いた。8年程前に、妻とふたりで松江市内のジーンズ店で買ったものだ。当時はぴったりと足にフィットしていたが、今ではガブガブだ。洗いざらして生地が伸びたのか、それとも足の筋肉が衰えたのかは分からない。が、以来、ジーンズを購入したことはない。ガブガブなのもおしゃれかなと思えば足りる。休みの日には、それ以前に買った2本とを、かわるがわる穿いている。
ジーパンとTシャツと、ジーパンに合いそうな厚手のシャツを羽織って家を飛び出した。20代の若者とほぼ同じスタイルだ。若くありたいと思う気持ちがジーパン好きに私をさせている。午後は通院予定、心電図技師のあの娘、ぬ???、と会えるだろうか。妻は裏切れぬが、恋はしたいと思っている。
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DASAI
2024年10月01日
息子の病気が気になって、今朝一番で出雲市の病院に行った。今日は一昨日と違って元気そうだった。元気な息子を見ると、心が救われる。だって、障害を持った子に産んだのは私たちだから。息子には、何の責任もない。そして今、その責任をひとりで背負っている。何とか幸せに生きてほしい。
国道9号線の帰り道、いつものように音楽を聴いていた。もの思う時、音楽は聞こえない。夫婦二人の時とひとりでは、こんな違いがある。喜びは半分に、そして苦しみは3倍になって感じてしまう。そんなことを思った時、ふと路上の地名の案内板に目が行った。何と読むのだろう、「太才」。え、ほんと?。ローマ字で、DASAIとふってあった。その地名は、斐川町富村にあった。




