尾道行

2024年04月11日

 先日の定休日、ある人と朝の8時過ぎに待ち合わせして尾道に向かって出発した。その人は同業ではないが、私とどこか似たような仕事をする女性で、定休日も私と同じ水曜日なのである。歳は、無理すれば私の子供と言ってもおかしくない。夕方仕事があるというので早めの出発となった。

 

桜ござ

 

 いつものように千光寺公園駐車場に車を停めた。もう散ってしまったのだろうなと、そう思って来たのだが桜の花もまだ咲き誇っていた。それでも散った花びらが路面を華やかにして観光地としての味わいに役立っていた。私は志賀直哉が住まっていた寓居なるものを見たいと、そこへ行きたい願望があったので彼女はそれに協力をしてくれた。だが、坂道を下るときには見つけることができなかった。

 

寓居 ひとまず、商店街で尾道ラーメンを食べようよ。というので目の前にあったラーメン店に飛び込んだ。私はコピーを取り出して、志賀直哉の「暗夜行路」の尾道のところの一節を彼女に読んで聞かせた。特に、夕方千光寺で鐘をつくところの描写が気に入っている。「ごーんとなるとごーんと反響がひとつ、またひとつ、・・・」

 

 この頃、採算が合わないということで観光地図にも載せていない時任謙作(志賀直哉の旧居)の寓居、彼女がスマホでその場所を探してくれた。それを辿って坂道の階段を上っていく。ついに見つけた。これが見たかったんだよ。久し振りに見る時任謙作が住んだ寓居、感動した。

 

 あとは帰るだけ。旧居から千光寺公園まではまだまだ上り坂。10歩石段を上っては休み、また上っては休みの繰り返し。やっと駐車場に着いたら長蛇の空車待ちの車にびっくりした。いい時間にやって来たもんだねと、朝の早立ちの約束に感謝するのだった。

 

 それにしても、どうしてこうも私は尾道にはまってしまったのだろう。ラーメンの味は、山陰の人には濃い過ぎる気がする。だけど、食べなければ気が済まない。一時娘が住まってたところだからだろうか。それとも妻との思い出が深いからだろうか。恐らく風景といい、すべてが私の好みとうまく絡まっているのだと思う。

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