店主日記

  • 不動産日記 2025年08月31日

    不動産日記 今朝、出勤途中のジュンテンドーでB5サイズの3冊の大学ノートを買ってきた。1冊に、「不動産日記NO79」と書いた。そして日付、2025年9月1日と記入。思いも書きたいからと不動産日記と私が命名した。1ページに1日の出来事を書く。1冊が3ヶ月持つ。78÷3÷12=21.6。開業して間もなく22年。ぴったりだ。

     

     NO順に積み重ねてあるその日記の所々を抜き出してみた。最初の頃はほぼ私の字。そしてだんだん妻の文字が多くなった。そしてやがては皆妻の文字。仕事に慣れて、電話の受話器を取ることが増えたからだろう。2018年4月22日の項を見つけた。9時50分に私の文字が1行。続いて55分に妻の字が1行。その日はその2行で終わった。

     

     気丈にも、27日にはもう出勤して当たり前に働いている。その日以降の私の文字は大きくなり、筆圧も増している。ひょっとしたら、運命に負けるものかの誓いかもしれない。これからはひとりぼっちの事務所、負けてなるものかの誓いかもしれない。不動産日記の全てを手ごろな高さ33センチの段ボール箱に重ねて入れた。5センチほど顔を出した。NO150ぐらいまで、行きたいな。

  • ロミオとジェリエット 2025年08月28日

     昨日の朝は雨が降っていた。先日頃から、早朝の墓参に行くと、妻の墓石のまわりの草むらに朝露が光るようになってきた。後ろの森ではヒグラシが盛んに鳴いている。今朝は4時にエアコンを消して窓を全開にした。暑い暑いと言っても秋は確実にやって来ている。それにしても、秋という季節は、なぜこうももの悲しくなるのだろう。

     

     昨日は週一回の食料品の買い出しの水曜日だった。これだけ野菜と肉があれば十分と、いつものレジに向かった。あれ、様子が違う。セルフレジになっている。いつもの彼女が傍に居たので、セルフレジの打ち方を教えてもらった。終わって、じゃあと帰りかけたら、「今日は通院日だったの?」。腕に貼った、採決の注射の針の跡の血止めのテープをそれとなく見たらしい。そんな何でもないことに、優しく触れてくれる人なんか他に居りゃあしない。

     

    嫁ヶ島 買ってきた食材を冷蔵庫に納めていたら、急に寂しくなってきた。もう、彼女には会えないのだろうか。そう思った。レジで、二言三言、声を交わすだけでいい。それ以上は何も望まないのに。彼女と会うと、誰とも会わない定休日の寂しさが和らいでいたのに、会えないと思うと寂しい気持ちが胸に広がっていった。最初彼女を見た時、妙に懐かしく感じ、そして思い切って声をかけたのがきっかけだった。同郷の、ふる里言葉とそのイントネーションが懐かしかった。

     

     ロミオとジュリエットの物語を思い出した。そして、妻が静かに息を引き取っていったあの瞬間の記憶が蘇ってきた。最愛の人を早くに失った私は、人と人の別れについては心が大きく動く。交通事故で亡くなった人のニュースを聞いては、その家族を想い、涙を流す。エレベーターの中で何も関係ない男性に殺された女性本人の無念、そしてご家族の哀しみと苦しみを思うと、強く辛い気持ちになっていく。

  • かあちゃんの詩 2025年08月24日

    ひまわり 8月24日は奥出雲町三成の、「愛宕祭り}の日だ。私が暮らした地区、三沢の「十七夜」には出かけたことはないが、三成が近いのもあって、愛宕祭りには毎年でかけていた。本町に神楽の櫓があって、そこにしがみつくようにしてヤマタノオロチが登場する演目を見ていたものだ。60年振りに行ってみたい気もするが・・・。

     

     7年前の愛宕祭りの前日、23日は妻の月命日でもある。他界して4ヶ月が経った。もう二度と会えないことを実感し始めて、そのことが確実になったこの月命日の日に、ある決意をした。妻の日記を書こう。毎日の生活に、妻の思い出を絡めて日記を書こう。そう決意した。そして昨日、「かあちゃんの詩」日記は7年目の最終日記が完結した。

     

     今朝は、いつもの倍の文字数で8年目の最初の日記を書き上げた。最初は思い出を絡めようと思っていたが、それが今では会話形式になっている。朝、出勤する時仏壇に向かって、じゃあなぎさ、これから出かけるね。今日は日曜日だから早く帰って来るよ。そう話しかけるのが、そのまま日記になって、・・・だからいつまでも一緒だよって、そう思って書いている。

  • こうさてん 2025年08月22日

     「東京ララバイ 部屋がある窓がある タワーも見えるけど 幸せが見えない だから死ぬまで ないものねだりの子守歌」

    と締めくくって「東京ららばい」の歌詞は終わる。そうだよ、そうだよねえ。君も分かってくれるんだ。そうなんだよねえ。

     

    こうさてん 先日、三瓶山の東の原の散歩の時見つけた。散策路を少し歩いて引き返してきたらこの立て看板があった。この写真を写した場所から説明すると、左手に大駐車場があって、右手のすぐそこに石見ワイナリーの建物がある。そこに、ひら仮名で、交差点と書いてあった。え、交差点?。どこに?。

     

     そう言えば少し先に、この道と観光リフトに行く道と交差する部分がある。でも、こうして大げさに立て看板を立てて注意喚起する必要があるのだろうか。???。と思った。でもジョークと考えれば、などとひとり合点して、ふと思った。

     

     そう、私にも交差点が必要なんだ。交差点で、私自身の生活に変化を付けなきゃあ東京ららばいですべてが終わってしまう、そう思った。でもな、と言うもう一人の私がいた。東京ららばいもまんざらじゃないもんな。だからさ、繰り返せばいいじゃないか。そうだな、東京ららばいと、交差点を繰り返そう。そうだな、そうしようそうしよう。そう決めた。

  • 孫が手をつないでくれた 2025年08月20日

     休みなのに早く目が覚めた。エアコンを消した。前後の部屋を網戸にして、陽の当たる部屋の遮光カーテンを閉めた。扇風機のみで軽い朝食を済ませて、娘達に叱られるだろう乱雑な、形だけの掃除機を終わった。そして出発。出雲市の息子を見舞わなければ。胴体だけで、手足の拘束はほどかれていた。それにしても、と思った。

     

     その後、いつもの三瓶山に向かうことにした。ひとりドライブ中の私は口をきくことはない。それが孤独が孤独を呼んでしまうことになる。いつもの道の駅「キララ多伎」を珍しくスルーした。大田市街地のコンビニに寄ってサンドイッチと冷たい缶コーヒーを仕入れた。レジ係の、30台?女性の対応がすごく爽やかだった。二品で両手を塞いで玄関ドアを出ようとした。向こうから入店しようとしていた若い男性がドアを手前に引いて、さっとした手の動きにあわせてどうぞと言ってくれた。爽やかだった。このコンビニのお陰で、久し振りに人の優しさに触れた気がした。

     

    律人と いつものコースで北の原の木陰に車を停めた。サンドイッチをほうばった。爽やかなレジ係の女性の顔が浮かんできた。ドアを引いてくれた男性の優しい顔が浮かんできた。そんな気持ちになる私は、生活の苦しさや、別れの辛さを味わった経験者だからかもしれない、そんな気がした。今日は良い人たちに出会った。そう思って飲む冷たい缶コーヒーは美味しかった。

     

     西の原に行き、東の原で散歩して、頓原町の国道54号線に合流した。歌姫と冠したCDのNO12の中原理恵さんが歌う「東京ららばい」を選んだ。ボリュームをいっぱいに上げた。その歌を何度も繰り返しながら、車は国道の下り坂を60キロのスピードで下っていった。大音量の車内の私の記憶は、何もかも浮かんでは来やしない。幸せな瞬間なのだろう。東京ララバイは、私に似合った歌だと思った。

     あ、そうそう。皆さんはこんな運転なさらないでくださいね。これは40年間無事故無違反表彰の、そしてプロドライバーだった私の特殊能力なんですよ。

     

     写真は、盆の13日、娘達と孫と4人で奥出雲町に行った。先祖の墓参を終えて、鬼の舌震に行った。駐車場から舌震に行く時、孫が手をつないで一緒に歩いてくれた。この日、手つなぎデビュー日なのだった。

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