店主日記
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妻へのラブレター ~また君に恋してる~
2020年05月11日
朝露が招く 光を浴びて
はじめてのように ふれる頬
てのひらに伝う 君の寝息に
過ぎてきた時が 報われる
いつか風が 散らした花も
季節めぐり 色をつけるよ
また君に 恋してる いままでよりも深く
まだ君を 好きになれる 心から
2007年、ビリーバンバンによってシングルカットがなされた曲らしい。ビリーバンバンの弟に私は似ていると以前から言われていた。よく見ると、なるほどなってこの頃思うようになった。そんな理由からではないが、この歌が気に入っている。
「いつか風が 散らした花も 季節めぐり 色をつけるよ」の部分を見ると、しばらく疎遠になった恋人同士が再び縁りを戻した。そんな歌らしい。
君が旅立って、これで何もかもが終わったんだってそのときは思った。でも、2年の月日が色をつけた。今でも君に恋している。その心は今までよりも深い。だから君のこと、今でもとっても好きなんだ。そしてこれからもずうっと、この気持ちは変わらない。そんな思いでこの歌を口ずさんでいる。
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タンポポ
2020年05月08日
タンポポは一年中咲く花だ。だけど、今の時分が一番多く咲く時期だろう。草むらに、花期を終えて綿毛に変えたその姿が居並ぶのは美しいし神々しくもある。今見かける黄色いタンポポはみな外来種だ。それでも、八雲町の草むらには日本古来種の白花タンポポを数多く見かける。そしてほっとする。
私が写したこの綿毛のタンポポは頭頂部分を風に散らしていた。残りの8割がまだ自分の茎にしがみついている。だが、このすべてが風に舞ってしまうのは時間の問題だ。兄弟がみんな散りぢりになってその何割が地に着いて芽を出すのだろう。遠い古から続くこの綿毛の確率はいかがなものなのだろう。私もこのタンポポの確率で今生きている。
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藤の花
2020年05月05日
ステイホーム。私にとって家にいることは、発狂するほどに無残な仕打ちなのである。テレビで緊急事態宣言延長のニュースをきいていても、政治家トップの我が思惑に都合のいい数字だけが並ぶのは空しいだけ。心に響く何ものもない。
先日今井書店で3枚の図書カードで仕入れておいた、数冊の文庫本を持って車で出かけることにた。目的地は山の中。人がいない静かな場所を目指して車は走る。駐車場のある山頂で車を止める。しばし読書を楽しむ。読書と言っても、難しいものではない。内田康夫の推理小説「不等辺三角形」だ。
前部両サイドのドアのガラス窓を開け、小鳥の鳴き声を遠くに聞いて、爽やかな五月の風を肌で感じながら心は小説の殺人現場に舞っている。そんな非現実の推理をしばらく楽しんだ後、再び車で走ることにした。しばらくするとガードレールのすぐそこに、紫色の藤の花がその艶やかさを誇っていた。
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ステイホーム
2020年04月30日
今いち番国民として協力し合わなきゃいけないことって、ステイホームだろう。定休日と祭日が重なった昨日、私も例外なく、家で一日いることにした。とはいっても、食料品の買い出しだけはと朝早くにスーパーマーケットに行く。人が少ない時間帯だろうと思ったのだが、誰も同じことを考えるらしい。レジも、人であふれていた。
布団のシーツを洗い、布団は日光浴をさせる。部屋の掃除も久し振りに丁寧にした。外の暖かさと室内温度は違うらしい。まだ炬燵が欠かせない。インスタントコーヒーを飲みながら、国会テレビ中継を見る。人との接触を8割減と訴えるものの、ここに政治家たちと国民との信頼関係の危うさを見る。
昼ご飯は私が得意とするチャーハンを作ることにした。具はタマネギとニンジンだけ。ニンニクひとかけをみじん切りにしてフライパンで炒める。香りが立ったら具を投入。卵を贅沢に2個入れたらすかさずご飯を投入する。まるでプロ並みの腕前である。フライパンの中で具材が舞う。仕上げに醤油を垂らす。
午後、再び国会中継を見ながら心は連休の暮らし方に迷う。入院中の息子に会うこともできず、二人の娘は帰って来ないし、私がいち番苦手なステイホームをひとりぼっちでしなければならないとは。あ、そうだ。山陰中央新報のこだま欄への投稿で頂いた図書カードが3枚あったんだ。
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日曜日の朝
2020年04月26日
いつもの今時分なら、どの家庭も連休の計画で笑顔があるれている頃だろうに。その準備で、忙しくても楽しい楽しい忙しさだろうに。でも、この連休はそうもいかない。私も、連休返上で仕事しようと思っている。我が事務所は、3密にならない事務所だから、ひとりの事務所だから出勤してパソコンに向かうことにしている。
今日の日曜日も歩いて出勤した。早くに目が覚めたものだから早くに出勤してきた。早いと言っても十分に世間も活動時間に入っているはずなのだが、歩く人も走る車の数もいたって少ない。時々、中年のジョギングの男性とすれ違う。
天気も曇りとあって風景はかすんでいる。こんな日は、鳴く小鳥の声も少ないのだろうか。あちらこちらで小鳥の恋の語らいが聞けてもいいのではないか。巣作りの、枯れ草をくわえたスズメの姿が見えてもいいのではないか。コロナコロナで小鳥まで静かなのだろうか。