三瓶山

2020年09月11日

 昨日、あれから大田市の三瓶山に車で向かった。一週間に一度は車で、ある程度の時間を費やさないと心が折れそうになる。若い頃はそうでもなかったのだが、この頃心の辛抱ができなくなった年齢に達したのかもしれない。だけどお陰で今日はすっきりとした気分で仕事ができそうだ。

 

 妻が他界して2年と4ヶ月が経った。この頃の店主日記には、妻を失った寂しさや切なさを書いてきた。女々しい奴と思われてもかまわない。そんな思いで書いてきた。少しでも、多くの人にその思いを伝えたい。そんな気持ちで書いてきた。なぜなら、配偶者のみならず、愛する家族を失って悲しんでる人たちがいるのだから。

 

 悲しみを和らげるのは、励ましでも何でもない。そうだねって、悲しいねって、寂しいねってともに感じてくれる人がいてくれることである。書物やネットや何でもいい。悲しく、寂しさに耐えている人がいるのだなあって知ることである。そして人の悲しみも感じてみることだと思う。一瞬は、我が身と重なって悲しみが増すのかもしれない。だけど、なぜか分からないが、その後、心が安らぐ。

 

 私が心安らぐのを確信したのは、私の新聞投稿に対する人の反応だ。山陰中央新報の「こだま」欄に、妻を失って悲しい、寂しいって何度か投稿した。それを読んだ人、数人が私に言った。また書いてねって。いずれの方も、配偶者を失った方だ。涙流しながら読んだわって。でもまた書いてねって言ってくれた。

コスモス 

 三瓶山の麓の「東三瓶フラワーバレー」に行ってみた。雨が落ちそうな気配。だがまだ耐えている。コスモスが咲いてるのかもしれないと思ったからだ。まだまだシーズンは遠いようだ。西の原に着くころに雨は本降りになった。木陰で文庫本なんて雰囲気ではない。でも、楽しいな。

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