店主日記
-
涙の数だけ
2021年12月13日
この頃思うけど、涙の質は日を追うごとに変わっていくものらしい。しょっぱさもだんだんなくなってきた。妻を失った悲しみの涙が、少しずつ喜びの涙に変わっていくということかもしれない。大げさだが、仏教で言う悟りを開く、日を追うごとにそんな心境に変わってきたのかもしれない。
昨夕、一昨日に鳥取にご一緒した母の方からラインが届いた。昨日のこの日記を読んで切なくなったと。そして思い出させてごめんねって。これを読んだ瞬間、涙がこぼれてきた。嬉し涙が。久し振りだ、こぼれるほどの涙は。Wさん、私は思い出が嬉しいのです。妻との数々の思い出が。そんな思い出に、深く触れさせてくれてありがとうね。そして昨日の涙も、嬉しくって流す涙なんですよ。妻との思い出がまた蘇って来て。
-
人恋しくて
2021年12月12日
今朝目覚めてからずうっと人恋しくて、そんな気持ちが続いている。昨日のドライブが、家族の暖かみを心の中に呼び戻したからだろうか。家族のいる喜びを、家族のいる温もりを、家族のいる味わいを、家族のいる香を呼び戻したからだろうか。
約束通り、9時30分に集合、事務所を出発した。母が助手席に座って、娘は後部座席に座った。これが我が家のドライブスタイルだった。昨日も同じく、母が助手席に、娘さんは後部座席に座った。じゃあ出発するよ。
信号を待たなければ、1~2分で山陰道に乗る。車は東に向かって快適に走る。米子市に入ってトンネルを抜けると雨だった。が、通り雨だったらしく、直に晴れてきた。車内に、小春日和の暖かい日差しが注ぐ。絶好のドライブ日和なのである。
琴浦町の「鳴り石の浜」に降りてみた。波静かで、鳴る石の数は少ない。雰囲気だけ味わって、近くにある「塩谷定好写真館」に行った。100年前の、モノクロームの懐かしさがある写真が展示してある。館内を、ボランテアの人だろうか案内してくれた。
そして鳥取市の賀露港に向かう。人で溢れている。まるでお祭りだ。食事処の選択は彼女たちに任せた。海鮮丼を頂いた後、市場を散策する。新鮮な魚介類がいっぱいだ。帰りの車内、3人で会話が弾む。親子の会話が懐かしい。妻と、娘の会話が懐かしい。
-
遠くへ行きたい
2021年12月09日
知らない町を歩いてみたい♪ 知らない海を眺めてみたい♪ その昔、ジェリー藤尾が歌った「遠くへ行きたい」という歌に心惹かれる。よく知った町、ここは宇龍の町。でも、行くたびに違った風景を見せてくれる。人々の生活の営みを感じる喜び、それが旅の楽しさなのだろう。
日御碕神社の手前の無料駐車場に車を停めた。停めたすぐ後ろにボックスがある。公衆電話にしては小さいな。公衆有線とある。大社町独自の有線放送電話ですと説明してある。ここには、街にはない町がある。大社ご縁ネットとある。
神社にお参りした後、宇龍の港に行った。カレイが干してある。どんな年の人が、どんな船で、いつ捕ったものだろう。そして誰がここに干したのだろう。漁師さんの奥さんなのだろうか、それともお母さんなのだろうか、それとも漁師さんから買い取った土産店の店主なのだろうか。そんな姿を想像するだけでも楽しい。いろんな場面が浮かんでくる。
-
あ、魚だよ
2021年12月09日
この頃よく眠ると先日も書いたが本当によく眠る。昨日も目覚めたのが9時過ぎ。慌ててパンと卵とウインナーを牛乳でお腹に流し込んで出発した。お昼前には着かなきゃと思って墓参もほどほどに出雲市に向かった。面会終わって、さあどうしよう。日御碕に行ってみようか。
宇龍の港から経島を眺めた。後ろの波打ち際でなにやら音がする。そこにはコンクリートで固めた下地に太めの木材が幾本も海に対して平行に並べられている。小舟を陸上げするためのものだ。コンクリートの下地が緩やかに海に向かって沈んでいる。その狭間が波打ち際になっていて小さな小石が無数に打ち上げられている。
程よい波が一定間隔で打ち寄せている。寄せてはひき、ひいては寄せてまたひいて行く。その波は、小石を運んで来ては持ち去っていく。波がひく時、小石同士がぶつかり合う。その時無数の音がする。カチカチカチと音がする。その音は、ひく波によって微妙に違う。高く鳴る時、そして穏やかな時。いつまで見ていても飽きない音がする。鳥取の、鳴石の浜の小さめバージョンだねって、この前二人で話したね。あ、魚だよ。
-
ただそれだけで
2021年12月07日
今日、嬉しいことがあった。不動産業冥利につきるほどの嬉しいことがあった。こんなことがあるんだって、良かったなって、嬉しいなって、顔を見合わせただけで、ただそれだけでふたり一緒に喜べたのに。その喜びは倍にも三倍にもなって。