店主日記
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頬ずり
2022年10月21日
どうも秋はいかん。寂しくって、もの悲しいのである。半年余り一緒に暮らした娘と孫殿が行ってしまったからだろうか。あれから1ヶ月ともうすぐ半月。もう、ひとり暮らしに慣れてもよさそうなものを。そう思うのだがどうもいかん。
今朝、卵とウインナーを焼こうと思ってガスコンロに火をつけた。間もなくピーと鳴って火が消えた。電池がなくなったのだ。もういいや。パンも食べずに飛び出してしまった。まだ誰もいやしない。思い切って妻の墓石に頬ずりをしてみた。なんと心安らぐことか。公園墓地の上空にはうろこ雲が広がっていた。

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有難うございました。
2022年10月21日
一昨日の深夜、我が家の近所で火事があった。炎は夜空を焦がし、黒煙が高く昇っていく。爆発音も4度聞こえた。正直怖かった。心が震えた。そんな昨日、心配したよってある女性が電話をくれた。寂しい私の心に潤いをくれた。有難うございました。
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美保関編
2022年10月20日
三瓶山に行った時の写真と、美保関に行った時の写真を同時に彼女はラインで送ってくれた。2日続けてのドライブだったのだろうか。それとも2週連続のドライブだったのだろうか。走る車の助手席からの写真が多い。
母と暮らした時の母の話だ。奥出雲町で農業を営んでいた私の両親、田植えが終わると美保神社に行ったと言う。当時は松江から船での旅行だ。たぶん最低でも1泊はしただろうと思う。参拝し、土産物屋で農業に使う竹細工製品を買って帰ったそうだ。この旅行を泥落としと言ってたとか。以前、竹細工製品をつるした土産物店を見かけたことがある。だが、数多くあった土産物店も今では姿を消した。

余談だった。私が運転して、彼女が隣に座っているならば、神話や歴史、風習など、そんな話を山ほど聞かせてあげるのに、私ではないのが残念だ。と、思っただけで寂しくなる。どこへ行くにも私はいつもひとりぼっち。昨日の三瓶山、秋は人も多い。私だけひとりぼっち。岬めぐりの歌詞を思う。「幸せそうな人々達と、岬をまわるひとりで僕は」・・「僕はどうして生きてゆこう」

写真撮影は彼女。上の写真は隠岐行きのフェリー「しらしま」かな?走る車の助手席から撮ったらしい。船の向こうにうっすらと大山の姿。下の写真は美保関灯台。灯台の下から隠岐諸島が見える。その日天気が良くてそれが見えたそうだ。
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高原の読書室
2022年10月19日
曇りの時間が多かったが、時々雲間から太陽がのぞく。たまたまその時間に木漏れ日の美しい三瓶山の道を走った。車のフロントガラスに反射する木漏れ日の光は幻想的な雰囲気を醸し出してくれた。

今年になってから何回目だろう。三瓶山のドライブは。49日の法要を終え、妻との思い出深い三瓶山に来た。泣きじゃくりながら走った北の原への道。あれから妙に三瓶山に行きたくなってしまう。今日もまた来てしまった。

北の原から西の原に向かう。いつもの駐車場でサンドイッチかじりながらコーヒーを飲む。そして読書。読書と言っても、推理小説だ。今日は東野圭吾の「流星の絆」・・・下の写真が三瓶山を見渡せる私の特設の高原の読書室だ。私だけの至福の時間と空間だ。ここに座って縁石に足を預けると具合が良い。

あの人が行ったという東三瓶フラワーバレーにも行ってみた。もうほとんどの秋桜は刈り取られていたが、大きな畑一面だけに遅蒔きのが咲いていた。新聞で読んだが、種蒔きの時期を変えているらしい。少しでも長く楽しめるようにと。粋な計らいだ。

今日はすべて私の写真。あの人編は、明日再開する。
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コスモス
2022年10月18日
今朝は眼覚時計が鳴っても起きれなかった。後5分、後5分と10分遅れで布団からやっと脱出。新聞も読めずに出勤してしまった。よく眠れるのは涼しくなったからなのか。それとも、大部に心が落ち着いてきたからだろうか。


三瓶山西の原を後にして彼女は国道54号線方面に向かった。途中、三瓶フラワーバレーに行くためだ。そこには6万本のコスモスの花が植えられている。花好きな人にはたまらない風景が広がっている。
長生きしたくないねって、彼女と話したことがある。そのことは昨日も書いた。私の場合、人生に変化が多すぎた。夜間高校に通って昼間働いてひとりで生きた青春時代。やっと結婚して、3人の子宝に恵まれた。長男は重度の自閉症という障害を持って生まれた。それでも幸せを感じ始めたその直後、病に倒れた。職を失って、懸命に不動産業を立ち上げた。軌道に乗って、さあこれからが人生だと思った刹那、妻がひとり天国に旅立って行った。・・・もういい。時々ふと、そう感じることがある。
彼女を誘っていちにちドライブをしたことがある。彼女との会話は途切れることがない。ふたりはよく話す。そして分かったのは、彼女は真面目だということだ。懸命に生きようとしている。正義感も強い。そのあたりに、長生きしたくないって思うところがあるのだろうと思う。それはさておき、一緒にいて楽しい人だ。笑いを忘れた私を笑顔にしてくれる。




