店主日記
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空は秋色
2019年09月26日
月末になると自営業者は忙しい。サラリーマンにとっては楽しいはずの月末だが、自営業者はそうもいかない。なぜなら支払いが忙しいのである。今日も、地場の銀行のATMが集まっているショッピングセンターに行く。そんな時に限って携帯が鳴る。出てみると、反社会勢力ではないよねって売主が言う。ATMの前でそんな話をしていたら、なんだか誤解されそうで。
昨日は奥出雲町に行った。なぜかこの頃懐かしさにひかれる。年取ったせいなのだろうか。そうかもしれないねって自ら納得する。おかしな話だな、などと思う。私って今何歳なのだろうかって思ってしまう。年寄りのようで、だけど若いなと思っている心がその中心を占めている。立ち寄った道の駅、「おろちの里」の空の色は秋色だった。
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放浪癖
2019年09月13日
高校生の時、土曜日の夜学の時間が終わると8時半。心の準備を整えて松江駅に行く。10時の急行「ちどり」に乗る時間には余裕がある。リュックにアサヒペンタックスの一眼レフ。着替えなどいらない、文庫本が一冊あれば十分だ。そしてわずかばかりの小銭がポケットに。
広島駅に明くる早朝の5時に着く。駅前広場の芝生の上でもう1時間の仮眠をとる。6時、さて出発だ。当てもなく歩き回る。その数年前に作られ、数年後にヒットした歌がある。知らない街を歩いてみたい、どこか遠くへ行きたい、とジェリー藤尾が歌った歌がある。まるで私をモデルにしたような。
9月10日火曜日、朝6時ちょうどに愛車に乗った。今日は放浪ではない。目的はちゃんとある。兵庫県の加西市に暮らす私の実の姉に会うため。午後、同じく兵庫県の但馬にある妻の実家にあいさつのためである。が、途中、時間の許す限りは放浪に近い。
養父市のビジネスホテルに宿泊した。その昔、妻と二人で行った居酒屋にも行った。明くる朝、但馬の小京都と言われる出石に行って暑い中の散策にくたびれて、蕎麦も食べずに帰路についた。山陰道をひたすら西へと走る。急にボウリングがしたくなって・・・。
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定休日
2019年09月04日
定休日はいつもより早くに目が覚める。いつも朝は早いのだが定休日はより早くに目が覚める。遠足の日の小学生気分なのだろうか。いつも通り出勤、というより事務所に行った。いつもと同じ時間なのにいつもより走る車は少ない。なぜだろう。建築関係業者が休みの日だからだろうか。いや、そんなことはあるまいと思うけどどうだろう。水曜日は、病院外来に行く人も確かに多い。
そのまま出雲市に行く。息子に会って、その後はそこの街のボウリング場に行くことがこの頃多い。なぜかと言えばこの頃腕力を鍛えることにしている。スポーツジムに行くのじゃないけれど、何気ない所で何気なくそれはできるのだからおもしろい。15ポンドのボウリングボールをいかにコントロールできるのかで腕力鍛えの効果がみたいのだ。
結果である。なぜか、10番ピンが残るのである。おかしいなと思う。まぐれでも、ストライクになってもいいのではないか。だが、このレーンはそんな協調性も妥協性もないらしい。4ゲームやってストライクは3回だけ。ああ、またストレスが溜まった。
雨も降りそうだし、ならばリベンジだ。というので松江に帰って再びボウリング場だ。ここで、私と気の合うレーンに出会った。1ゲームでストライク数6回。今日の合計7ゲーム目では腕も疲れたのかガター連発。でも、腕力鍛えた効果を実感した今日の定休日なのである。
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移ろう季節
2019年08月25日
タオルケットでは寒いので毛布に替えたのが一昨日の夜。その毛布でも寒いと感じた今朝なのである。昼もめっきり涼しくなってきた。と言っても、最高気温はまだ30℃。まだまだ暑い、だが季節は確実に移ろっていく。
この頃、私が聴くのは学と言えるかどうか分からないが、暇を見つけては音楽を聴くようになった。雰囲気とか、音響装置の良さとかを求めるのではない。ただただ、聞きたいだけなのである。だからその音は、ノートパソコンのスピーカーから流れてくる音で十分なのである。
昭和のフォークソングがいい。この曲が「かぐや姫」によって発表された当時からなんとなく好きだった。恋人とか、そう言ったロマンスには程遠い私だったが、この歌が好きだった。貧しい、青春を歌った歌だからだろう私には親しみやすかった。その歌は「神田川」と「赤ちょうちん」である。
子供たちが無事に学校を終え、独立できる体制ができた。いつ巣立ってもいい。そんな頃から妻と二人のドライブ小旅行を楽しんだ。ユーキャン音楽事業部から永遠のフォーク大全集「青春の歌」を私が仕入れた。二人の車内には、常にこの全集の曲が流れていたのである。
「赤ちょうちん」の歌詞の中に「生きてることは ただそれだけで 哀しいことだと 知りました」という一節がある。そうだろうなって、いままでは感覚的には分かっていた。そして、今になって初めてその真実を知ったのである。
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ネガとポジ
2019年08月22日
今朝の早朝5時、自宅の電話が鳴った。この時間なんだろうと慌てて出た。親戚に何かがあったのだろうかと心配しながら。そう思うのは、子供たちは携帯にかけてくるからである。はい景山ですと言って受話器を取って間もなく、プツンといって電話は切れた。断りもなく電話は切れた。私である。そのまま起きてしまったのだから今日の仕事は寝不足で辛いかな。
この頃世間を騒がしているあおり運転である。よしんば相手が失礼な運転をしたなのら腹が立ったとして、窓を開け「馬鹿野郎」って怒鳴ればそれで済むことではないか。なぜ、あんなにも執拗な行動をとる。
先日テレビでこのあおり運転をテーマにある出演者が言っていた。「以前はネガティブでもよかったけれどこの頃、ポジテブでなければならないと感じる人が多くなった。自分の存在を主張しなければならないと感じる人が多くなった」イコール目立たなければ、なのだそうだ。
写真の世界である。今はほとんどがデジタルだから、フィルムの話をしても理解しようがないかもしれない。が、フィルムには、ネガティブフィルム(ネガ)とポジティブフィルム(ポジ)の2種類がある。映写機で言うなら、光源との間に置いたフィルムからスクリンに色合いが反転して映るのがネガ、ありのままに写るのがポジだ。写ルンですにはネガフィルムが装着してある。
そこで、ネットで専門家の意見を聞いてみた。表現力ではネガフィルムはポジフィルムに劣るそうである。しかしネガフィルムはプリント時で修正が効く。だから撮影時の失敗はある程度許されるそうである。ならば、人間も多少の失敗は修正できる方が良いのではないか。




