店主日記

  • 手紙 2019年06月09日

     事務所前の鉢植えのアマリリスの花期が終わった。しぼんだ花の茎を下の方で切った。これからは球根を成長させるのに懸命になってほしい。

     

     末娘に手紙を書いて投函した。短い短い手紙である。作詞作曲家のさだまさしが津和野の城跡でイメージした歌で「案山子」がある。この頃の私はその歌をよく聞くようになった。私の気持ちを歌ってくれているような気がする。そう書いて送った。

     

     身内で、あるいは身近な人に手紙書くのは何十年振りだろうか。妻との恋人時代、文通していた時から初めてかもしれない。今どき手紙なんて、そんな時代だからかもしれない。気恥ずかしく、こそばゆい感じがしないでもない。だが、手紙には手紙の良さがあると思っている。

  • アマリリスが半開き 2019年06月01日

     アマリリスが半開きになった。明日には咲くだろう。

     

     長女が広島に嫁いで行って次女が夢を追って東京に行った。長女にしても次女にしてもお兄ちゃんのお陰か判断能力には優れているから安心だ。だが、家に居る私には寂しさが残った。でも、私は孤独には慣れているから大丈夫。子供たちの束縛はしたくない。私は自由に生きてきてそれで幸せだと思っているから。

     

     先日川崎市でバスを待っていた小学生たちが中年の男に刺されて死傷者が出た。とてもとても、言い尽くせない悲しい出来事だ。滋賀県の保育園児を巻き込んだ交通事故にしたって、あれはミスではない。人としての優しさにほんのちょっぴり欠けていた。人としての優しさがあれば、あんな事故は起こらないだろうと思う。いわんや川崎の事件はである。      

  • アマリリス 2019年05月28日

     昼の弁当をかごの中に入れた。明日の朝の牛乳と今晩作ろうと思っているチャーハンの具、ニンジンと卵をかごの中に。酒のつまみにもろきゅうのキュウリを一袋、レジに行った。合計1000円ジャスト。え、こんなことってあるのってレジ係に聞いたら珍しいそうだ。今日は良いことがあるのかな。

    アマリリス

     

     いえいえもうあったんですって。今朝の山陰中央新報の「こだま」欄に私の投稿文が載った。40代から始めたこの投稿、何十回掲載されたのだろう。その時期時期によってテーマが定まっている私の投稿、振り返れば私の人生の一部と言ってもいいのかもしれない。何のための投稿かって聞かれれば、さて何のためなんだろう。自己満足???

     

     

     事務所前のアマリリスが咲きかけている。20年前、勤め先に来客が置いていった小鉢が私とこのアマリリスの出会いであり付き合いの始まりだった。いつの間にか鉢は四つに増えている。ここを開業するときから見守ってくれている愛おしいアマリリスだ。

     

     

     

  • 5月というのに夏日 2019年05月24日

     暑い、と言った方がうなづける天気になった。最高気温29℃、もうちょっとで真夏日だ。年齢を経たのと、慣れない暑さに体は悲鳴。真夏になったらどうしよう。今からうんざりだ。

     

     娘の同級生のお父さんIさんが事務所にやって来た。娘たちは小学校中学校と同じチームでバスケットボールをしていた仲である。したがってその子のお父さんと私は15年来の付き合いということになる。お互いに似た業種なのであいさつに来たと言う。

     

     今まで聞いたことがなかった彼の郷里を聞いてみた。もしやと思ったところがあったからである。言葉遣いや顔の作りからそうではないかと以前から思っていた。案の定やっぱりそうだった。10歳年下の彼は私と同郷なのである。しばし故郷の話が弾む。

  • 尾道 2019年05月23日

     先日娘が嫁いだ尾道に行った。家に置いてある娘の車を取りに帰りたいということから迎えに行った。出雲の息子を見舞った後、予定通り11時過ぎ、車は待ち合わせ場所の尾道駅に着いた。写真は何年か前、妻と二人で観光したときのものだ。

     

     尾道と言えば私の記憶に第一に浮かんでくるのが志賀直哉だ。ここには彼が住まった家が今でも存在している。娘の夫が転勤になるまでは、ちょくちょく来ようと思っている。直哉の旧居見学はこの次にしたい。

     

     私が結婚してしばらくのこと、妻の父親から城崎への誘いがあった。義父が常宿にしている三木屋に泊まるというので私は喜んだ。志賀直哉が自らの事故の後、しばらくの間養生したのがこの旅館だったからだ。

     

     私は、「暗夜行路」を読み直した。「城崎にて」も読み直した。そして松江から養父市に妻と一緒に向かった。義父の家に寄り、合計五人で城崎に向かってワゴン車は出発したのである。

     

     志賀直哉の暗夜行路を読んでみると、彼が旅した順路が分かって面白い。尾道、東京、京都、城崎、鳥取、米子を経由して松江に来た。彼は松江でもしばらく逗留している。「濠端の住まい」は松江で暮らしたそのものなのだ。

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