断捨離

2020年10月29日

 昨日、尾道に行った。娘に会った。僅かばかりの時間だったが、近況を聞いて、そして私の気持ちを伝えた。俺、今年中に断捨離終えるな。協力頼む。そして、断捨離の意味が初めて分かったと言った。娘、え、知らなかったの。いやそうじゃない。断捨離の本当の意味が分かった、そう言っているんだ。その意味を帰りの車の中で反芻してみた。運転の技術の心地良さに酔いながら。

 

 「岬めぐり」の歌詞に、「悲しみを胸に沈めたら街に帰る」と言う一節がある。その歌を何回も何回も口ずさんでみた。悲しみの失意から、それを乗り越えて普通の生活に帰る、立ち直ると言うのが街に帰るということなのだろうと思う。私も早くそうなりたいと思った。

 

 部屋の物を少しずつ、少しずつ片付けてきた。そうしては、仏壇の妻に謝っていた。ごめんな、かあちゃんの想いが入った物まで捨てちゃって。その後ろめたさから、仏壇に謝っていた。だが、何十回目かの岬めぐりを歌い終わったその時、ふと気が付いた。いや、そうじゃない。

 

 私の、妻に対する覚悟が足りなかったということに気が付いた。同時に、今まで考えなかった断捨離と言う言葉に思い当たった。私が今していることは片付けなんかじゃない。断捨離だ。断捨離にはその決意と覚悟が要る。そのことに気が付いた。二人といない大切な人だから。思い出の品をなくしても、その確実な人をより確実な人とする決意、そして深い覚悟が必要なんだ。・・・今日から違った気持ちで岬を回れる。2年半を費やしたけど。

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