津和野の旅

2019年07月11日

 石垣昨年の今頃は、萩で一泊して早朝に立って津和野経由で帰ったから1年振りの津和野旅だ。次女が東京に行ってからさだまさしの「案山子」をよく聴くようになった。「元気でいるか、街には慣れたか」で始まる歌だ。津和野城址でイメージしたのがこの歌らしい。何度も何度も繰り返し聴いていたら行きたくなって、たまらずの津和野旅である。

あざみ

 

 早朝出発してのドライブ旅だ。休憩をはさみながらなので到着したのはお昼少し前。食事が先かな、と思いながら成り行きでリフト乗り場まで来てしまった。往復700円の昇降券を買って乗る。高所恐怖症の私にとってはスリルでもある。

 

 本丸跡でさだまさしになった。案山子の歌になり切った。城跡の石垣の上に津和野の町を見守るようににひっそりと佇むあじさいの花。この花の歌を思い出す。「山には山の憂いあり 海には海の悲しみや ましてこころの花ぞのに 咲きしあざみの花ならば」 

 

 その後、町に下りて名物の「うずめ飯」を食べた。そして味わうようにゆっくりと、ゆっくりと歩いた。道路わきの水路に泳ぐ鯉。侍の奥方が、娘さんが現れそうな商店の暖簾。何軒かの造り酒屋。雰囲気を壊さぬよう建てられた銀行。すべてが津和野城下の藩政時代そのものだ。津和野の町はその雰囲気を十分に醸している。

鯉

 

 写真は、本丸跡から望む津和野の町。城跡にひっそり佇むあざみの花。津和野を象徴する泳ぐ鯉。どんな人が腰かけたのだろう、縁側・・・あざみの歌の3番も紹介しておこう。「いとしき花よ、汝はあざみ こころの花よ、汝はあざみ さだめの径は涯てなくも かおれよせめて、わが胸に」  

縁側

 

うずめ飯とは、・・・津和野町は山の幸しかない山間の町である。藩政時代なのであろう、接客に苦労した。山菜だけでは恥ずかしいような気がして山菜をご飯の下に隠すように入れた。そこにだし汁をかける。それを知らない客はご飯を混ぜてみるとごちそうがうずめられていた。これが「うずめ飯」の始まりだとか。・・・母が作った弁当を隠すようにして食べた子供の頃がある。先生が言う。こんなにごちそうなのにどうして隠すの。・・・ちょうどそのようなことかもしれない。

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