ドライブ日和

  • 2020年07月16日

     昨年のドライブ日和を見ると、ちょうどこの頃津和野に行っている。その時は、津和野じゃなきゃいけないという目的があった。今回は、目的を持たず、気の向いた町で宿泊しようとの思い付き、そしてのドライブ旅行である。

    城跡

     

     コロナ禍の中、他県にはあまり行きたくない。西に向かって走ることにした。9時、松江市を出発。出雲市を過ぎて大田市に入ったところで晴れ間が出てきた。ドライブ日和になってきた。江津市に入ったら町の風景がみたくなった。旧国道で江の川を渡る。え、これは? 赤みを帯びた茶色くうなる濁流がすぐ目の下に見える。おびただしい流木の数。ひょっとしたら上流が・・・

     

     高津川は国道9号線に沿って流れている。この川もかなりの水かさだ。どうやら、今回の大雨は島根県西部に本格的に降ったらしい。そうこうしているうちに、看板は日原町を説明していた。道の駅「ミルクウェイにちはら」の駐車場に停車する。少し考えて、やっぱり津和野だよね。

    旧居

     

     津和野駅前のビジネスホテルを予約して車を預ける。森鴎外の記念館に行こうと決める。今日はここだけ。ずいぶん歩いて到着した。旧居を訪ねる。1862年から10年間、彼はここで暮らした。

    稲荷神社

     

     コーヒーが飲みたくなった。喫茶店に入りたい。観光客を相手にするより地元の人をもてなす店がいい。路地も歩いてみる。これが、知らない町を歩く醍醐味なのである。これが楽しくてたまらない。お、こんな所にあった。喫茶店があった。年配の女性がカウンターに一人いた。こんな店がいい。

     

     あくる日は早く起きて太鼓谷稲荷神社に行った。神主たちや巫女たちが朝の掃除をしている。観光客はまだ誰もいない。稲荷神社をひとり占めだ。霧雨が赤い社殿を輝かせている。雨の日でも、斜光が建物を浮かび上がらせる。だから、朝早くに出かけるのだ。

     

  • 長門市 2019年11月14日

     11月12日6時30分出発した。この日と明くる日は天気が良さそう。神は私を見捨てなかったようである。国道9号線を走る私の後ろから朝日が射してくる。ああ、気持ちいいなあ。楽しむぞ~。

    みすゞ通り

     

     

     大田市まで来たところでガラケイの充電不足に気が付いた。充電器も持ってきていない。AUショップで充電してもらおうかと気をつけて走るけどそんなものありゃしない。浜田市は山陰道を経由したので市街地をスルー。益田市のコンビニに立ち寄って缶コーヒーを買ってその場所を聞く。

    軒先

     

     

     充電してとお願いしたところでひらめいた。こんな時、こんな状況の時スマホがあったらと。そしてかんたんスマホに交換することにした。とっても遅咲きのスマホデビューなのである。ガラケイよ、おさらばじゃ。え、カーナビでハンドフリーで電話できるんだ。

     

     

     午後3時に長門市に到着。かねてから行きたかった「金子みすゞ記念館」に行く。(店主日記参照) ホテルにチェックインして近くの居酒屋に行く。私より1歳年上の女性がカウンターの中にいた。私の好きなハイファイセットのボーカル、山本潤子によく似てた。彼女は連れ合いを15年ほど前に亡くしたらしい。だからだろう、私の話を聞いてくれたし話も聞かせてくれた。不思議な3時間だった。

    元乃隅神社

     

     

     あくる日、7時に起床。食事のできないホテルだったのでそのまま第2の目的地、元乃隅神社に行った。朝日に映える赤い鳥居が素敵だった。高い所にある賽銭箱に100円玉を投げた。10回目ぐらいに無事投入完了。そして帰路につく。2日間の走行距離、550km。楽しかった~。

     

     

  • 若桜町 2019年10月10日

     食パン1枚にマーガリンを塗り、その上に目玉焼き(卵1個分)を載せる。大きめのコップ1杯のミルク。バナナ1本。これがわたしの平均的な朝食だ。遠足の日は早くに目が覚める。7時ちょうどに出発準備完了し、トリップメータをゼロにする。さあ、レッツらゴー。

    若桜町

     

     果てしなく空は青い。気温も暑くもなく寒くもないらしい予報である。東に向かう車内のサンバイザーの有難さ。目的は鳥取県の若桜町の町並み散策である。藩政時代が色濃く残る町並みを歩いてみたいと以前から思っていた。それを今日実行するのだと思うと心わくわくする。

    蔵通り

     

     150kmの道程を2時間30分で到着した。まずは観光協会に行く。散策順路や、気に留めて歩くべきもの、それは何かを聞くのも知らない町を歩く醍醐味だ。蔵通りを歩く。富裕層の蔵がたちならんでいる。絵にはなるけれども生活臭が感じられない。そしてカリヤ通りだ。

     

     カリヤって何だろうと聞くの忘れたけど、まあいいか。「若桜民工芸館」に入った。築100年のこの建物は入館料無料で町内の方々が憩える場所になっているらしい。年配の女性が説明してくれた。窓ガラス越しに小さな庭も拝観できるようになっている。

    庭

     

     ほんの少し歩くと「昭和おもちゃ館」がある。これもかなり古い民家を利用したものだろう、昭和のおもちゃが所狭しと並べてある。皆見たことのある懐かしいものばかりだ。ガリ版印刷機(謄写版とも言ってたな)までも並んでいたのはおもしろい。

    人形

     

     町歩きの最後は喫茶店。カフェの看板だと入りにくいのだが喫茶店と書いてあると懐かしい。70数歳だというママさんがいた。私と話が合わない年代ではない。町で出会ったどの人も心優しい人たちで心安らいだ。

     

     そして帰りのルートの決定をした。戸倉峠を越えて山崎から中国道に乗る。落合で米子道に乗り換えて山陰道で帰ってきた。10時間の行程は走行距離395km。島根県、鳥取県、兵庫県、岡山県と4県にまたがる快適な日帰り旅行だったことは言うまでもない。

     

     

  • 但馬の小京都 出石 2019年09月13日
                     

     大手前通り

     但馬の記憶を思い起こす。八鹿の妙見山では、ザゼンソウが咲いていた。大屋は水芭蕉の群生地は日本の最西端だった記憶がある。出石にはオドリコソウが咲いていて・・・、みんなで名物の皿そば食べたんだ。確か、何枚って注文するんだったな。

     

     姫路市の近くだから播州になるんだろうが、加西市に私より二つ上の姉が住んでいる。私も私生活と仕事の忙しさからとんと無沙汰していた。が、この頃時間的な余裕もできてきたので久し振りに会いたくなった。月に一度の連休の日に行くことにした。9月10日のことである。

    五万八千国の城下町

     

     

     こんな日は早くに目が覚める。朝6時に出発した。事務所近くの松江中央ランプから山陰道に乗る。そのまま米子市まで走って今度は米子自動車道だ。落合ジャンクションで中国自動車道に乗り換える。待ち合わせ場所の加西市役所には予定通り9時30分ごろ到着。近くのジョイフルで2時間ほど懐かしく話をした。

     

     福崎まで引き返して国道312号線を北上する。但馬には、妻の弟妹が二人いる。ちょこっと早いが、来年の三回忌の日程の打ち合わせだ。それが終わって八鹿の「HtelIKUE」にチェックイン。その昔、妻と言ったことがある居酒屋「土筆」に行く。

    出石の町並

     

     枕が違うとよく眠れない年代に私もなってきた。朝食時間を待つのももどかしい。出石に向かって出発した。到着が早すぎて但馬の小京都もまだ眠っている。それでもと、城跡や街並みを散策して暑さも手伝ってか、早々に城下町をあとにした。あとは帰るだけ。山陰道の無料区間をひた走る。

     この二日間の走行距離は530km

     

     写真説明

      ☆大手前通りを歩くと出石のシンボル「振鼓楼」が見える

      ☆出石神社の参道だろうと思われる

      ☆出石城の石垣から見える出石の町並

     

  • 鹿野町 2019年08月15日

     ~なんの因果で貝殻漕ぎなろた~と始まる貝殻節という民謡が鳥取の浜村にある。温泉で名高いところだ。国道9号線を浜村から右折し、南に20分走れば鹿野町に着く。本日の目的地だ。

    鹿野城跡公園の池

     

    9時出発。山陰道を名和町で降りて国道9号線を走る。懐かしい風景がフロントガラスから飛び込んできては両サイドのガラス窓から去っていく。何回この風景を見たのだろう。何回、松江・但馬間を往復したのだろう。三十数年間の記憶をたどってみたら150回、いやもっと多いのかもしれない。

    鹿介の墓

     

     ある日、また鳥取に行きたくなって周辺の地図を見ていた。そういえばまだ、鹿野町には行ったことがない。改めて観光地図をネットで検索すると、おや?なのである。え、鹿之介の墓? 山中鹿介は戦国の山陰の三傑の一人、山陰の麒麟児ではないか。安来市の広瀬の尼子氏の武将ではないか。どうしてここに鹿介の墓が。

    鹿野町町並

     

     散策の後、山陰道が鳥取市まで伸びたのを確認したかったので走ってみた。河原町の途中で引き返した。あとは松江市まで一直線、山陰道をひた走るだけ。この日の全走行距離は290km。

     

     追伸 本当に言ったかどうか、山中鹿之介は「願わくば 我に七難八苦を与えたまえ」で有名な武将なのだ。

     

     

     

     

     

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