店主日記

  • 一夜明けて 2024年03月18日

     昨日、七回忌を無事に終えた。お寺が終わって、三々五々、お食事処の皆美館に向かった。足の弱い人は私の車で、達者な人は寺町から歩いて向かった。途中、山陰合同銀行の本店の14階、最上階にある展望所に立ち寄った。参加者は、県外の人ばかりで、宍道湖が高い所から見れるなんてと、感動していた。白潟公園で催しがあるらしい。人々が豆粒のように見えていた。

     

    催し

     

     七回忌は、それまでの一回忌や三回忌とは違った趣を感じた。三回忌までは、夢を見ているのではないか。またいつか、ひょっこりとどこかでなぎさが顔をだすんじゃないか。そんな思いが心にあった。いや、そうであって欲しい。その願望だったのかもしれない。

     

     だが、七回忌を終えた今、そんな甘い気持ちはない。なぎさの死は、現実なんだ。もう、二度と会うことなんかないんだ。そう思うようになった。足が地に着いたのだろうか。ひとりで生きていかなくちゃあ。私ひとりで頑張らなくちゃあ。・・・決意なのかもしれない。

  • 微笑んで草むらに 2024年03月16日

    ホトケノザ 暖かい朝を迎えた。東向きの我が事務所は、朝日が射しこんでいて暖かい。エアコンのスイッチも入れないまま、この店主日記を付けている。少し前、陽気に誘われてカメラを持って隣の草むらに行ってみた。名前は定かではないが「ホトケノザ」だろうか、私を見て微笑んでくれた。

     

     いよいよ明日は妻の七回忌だ。一昨日の夕方、長女が孫を連れて出雲空港に着いた。孫は、私を見るなり怖気づいたようにそっぽを向いてしまった。だが、我が家に着いたら思い出したように、ほっとした表情を見せた。そして抱っこも許してくれた。

     

     そして今夕、姉と同じ時間の飛行機で末娘が帰って来る。孫を連れて迎えに行くことになっている。会うのが楽しみだ。そして明日の午前10時半、お寺に行くことになっている。妻の弟夫婦、妹親子、そして従弟がやって来ることになっている。妻も待ち遠しがっているに違いない。

     

     そしてこの七回忌、四十九日にも、一回忌にも、三回忌にもなかった感情が湧いてきた。妻が恋しくてしょうがないこの気持ち、会いたくてたまらないこの気持ち。どうしてこんな気持ちになってしまうのだろう。心が乱れている。すごく気持ちが乱れてしまっている。なぎさって、何度も何度も呼び掛けている。

  • 移動パン屋さん 2024年03月14日

     3週間ほど前から木曜日の昼前の一週間に1回、移動パン屋さんがやって来るようになった。パンの種類は豊富だし、そして美味しい。私の昼ご飯はしばらく前からパン食になっていた。だから大助かり。余分に買っておいて、夕方のおやつにもいい。今夕方の5時前、てりやきチーズバーガーが美味しかった。

     

     夕方、出雲空港に長女が孫を連れて帰って来る。朝、松江警察署内にある交通安全協会に、予約しておいたチャイルドシートを借りに行った。それ以降、時間の経つのが遅い。孫に早く会いたいのに。後1時間したら、出雲空港に向かって出発だ。長女がどんな顔して下りてくるやら。孫はどんなに大きくなっているやら。楽しみだな。

  • イズモコバイモ 2024年03月13日

     春の妖精、「イズモコバイモ」が川本町の谷戸地区で今見頃らしい。島根県のみに自生する希少植物で絶滅危惧種らしい。何もなかったら見に行くのだが、明日の夕方には七回忌に合わせて長女が帰って来る。部屋の掃除やら、お墓の掃除やらで忙しいので行けそうにもない。この写真は2年前に行った時に写して、店主日記に使った写真だ。

     

    イズモコバイモ

     何やかにやどうやら片付けて、ドライブに向かうことにした。ぐるりと中海を回ってみよう。米子空港のあのミュウジック道路を通ってみよう。ゲゲゲの鬼太郎のテーマソングをあの道路に聞こう。そう思って走り出した。エンジン音は今日も快調そうだ。

     

     18曲入りのCD12枚が順番にひとりの車内のムードを潤す。しばらくすると、かぐや姫が歌う「赤ちょうちん」の順番がやって来た。聴いていると、「生きてることはただそれだけで、悲しいことだと知りました」、と歌った。いつもこの歌詞を聞くと、ここで胸が詰まってしまう。

     

     そう言えば、妻とふたり車の中で一番多く聞いた曲はこの赤ちょうちんなのである。私がこの歌が好きだったから、もう一度聴こうよと言って繰り返すのだった。だから他の曲と比べたら、倍以上の回数をふたりで聴いたのかもしれない。今日も、何度も何度も繰り返し聴いていた。そして隣の助手席に妻がいるような、そんな錯覚が嬉しかった。

  • 日誌 2024年03月11日

     七回忌法要が六日後に迫ってきたからだろうか、仕事が手に着かない。ふたりの娘が帰って来るからだろうか、それとも孫に会えるからだろうか。妻の魂により深く触れ合える、そんな気がする法要が近づくからだろうか。なんだか私自身でも分からないが落ち着かなくて、そして仕事が手に着かないでいる。

     

    日誌

     

     妻が生前最後の日まで付けていた日誌風メモ帳がある。それが、私が事務所に持って来た末娘が使っていた小さなステレオの、その本体の横に立てかけてある。妻が恋しくなった時、時々開いて見ている。懐かしい。几帳面な、その反面、大きく崩した文字が懐かしい。

     

    バースデイ 最後の文字に「あーすけが事ム所へ」とある。あーすけとは、私が長女の名前の頭文字のあを取って「あー助」と呼んだのが始まりだ。普段、妻は「あ・・・ちゃん」と呼んでいたのだが、メモにはこんなふうに書いていた。長女が何かをコピーしに事務所にやって来たんだと思う。

     

     この日記の、早いページあたりに月別のカレンダーがあって、そこに予定を書き込むようになっている。この写真は、3月3日、私の誕生日なのである。「OTO」とあるのは、「お父」という意味であるが、自分を含め、家族全員の誕生日に、それぞれの名前と共に、このように書き込んでいた。どんなに家族思いな、どんなに家族を愛した、妻だったのだろう。

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