オリンピックに思う

2021年06月11日

 あぜ道

 

 中学校を卒業して、親が望まぬ夜間高校に行った。昼は4大紙のひとつに数えられる新聞社の松江支局で働いた。ベニヤ板1枚の壁で隔てられた3帖間を借りて自立した。月謝を払い、食べていくのに必ずと言っていいほど月末にはお金が不足した。日曜日の、他のアルバイトを必死で探した。松江では、私が草分けだっただろうレストランのホールボーイをした。

 

 お金が不足しても、親に手伝ってもらったことはない。逆らった以上、これが私の意地だった。金のない生活は、恐怖である。その恐怖を、何回も何回も味わって私は憶病になった。自ずと、何かにつけて危険性を探る能力に長けてきた。この能力が、今も大好きな車の運転に表れてゴールド免許が続いている。

 

 私はスポーツも大好きだ。今でも、ひとりボウリングしたりバッテングセンターに行ったりして楽しんでいる。そんな私だから、オリンピックで池江璃花子さんが泳ぐ姿を見たい。体操競技の鉄棒も見てみたい。だけど、オリンピック開催には反対だ。私の臆病な能力が、開催後の日本の姿を見ているから。オリンピックは、人の幸せや命を賭けてまで開催することではない。

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